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日の丸







私の独り言








戦争が終わって六十年の月日が経ちました。
今は飽食の時代で、お金さえ出せば何でも手
に入る世の中ですが、わずか六〇年程前には
お金があっても物が手に入らない時代があり
ました。それを考えたら今は天国のようです。
という私も戦争の経験などはありませんが、
親などから聞いて大変だった事がおぼろげな
がら分かっている積もりです。しかし我々は未
だしも、最近の若者たちは戦争といえば古くて
もベトナム戦争くらいで、後は湾岸戦争や今の
イラク戦争しか知らない人が最近多いようです
が、六〇年前に日本はアメリカやイギリスその
他、欧米の各国を相手に戦争をしていました。
だから戦争は絶対あってはならないものなので
すが、最近は直ぐに切れただの何だのと云って
突然人を刺したり暴力を振るったりと、テレビニ
ュースで毎度放送されていますが、人は死んだら二
度と生きては戻れないのです。ゲームのバーチ
ャルな世界ではないのです。一度死んだら完全
なるGAME OVERなのです。リセットは利きま
せん。
そして云うならば、今の世の中、人を犠牲にして
人を殺傷する人間が居りますが、自分の身を犠牲
にしてまで他人を、更には国を護ろうとする人が
どれ程いるのでしょうか。恐らく御身大切とばか
りに自己保身に走る人が大半でしょう。それでも
良いでしょう、国が平和な時は。
しかしです、今、極東のこの周辺に絶対は無いのです。
時に頭上を何処に落ちるか予想も出来ない精度の
悪い長距離ミサイルが飛んで来たり、日本海上空を
ロシアのジェット戦闘機が領空を侵犯して自衛隊機が
緊急発進したり、海底では中国の潜水艦が動き回って
この国を包囲しているのです。
それを憲法9条があれば安心とばかりに、国民は
高を括っているのである。その憲法9条が日本国民を
駄目にし、平和ぼけにしたと言っても過言では
ないでしょう。

このような考えでは、先の大東亜戦争で亡くなった
方々、国のために家族のために身を捧げて戦地へ赴い
た方々や、参戦した方々をも含め侵略者だと言う人間
が居たとしても何の不思議は無いでしょう。
よくよくお考えあられよ、そんな事が起き
ないのが最高の平和なのですが、今後、憲法9条が
それを全て満たしてくれるとお思いでしょうか。
戦争は起こしてはならないのですが、自己防衛も
視野に入れての憲法9条でなければならないので
と野党の先生方に申し上げておきたい。
もしも敵が攻めて来たら竹やりで戦うのか、それとも
御免なさい助けて下さいと言うのでしょうか、
そして相手はハイそうですかと言ってくれるので
しょうか。その点をお考えあらせられまして
反対なり何なりをしてください。
所詮このような考えでは中立国など日本には無理です。
中立国とは軍事大国でこそ出来る事なのです。
それをお分かりなってから自衛隊の有無を述べて下さい。
中立国とは周辺国家に威圧感と、あの国は攻めても勝て
ないんだというほどの軍事大国にならなければとても
無理なのです。第二次世界大戦の折に、我が国は中立国と
宣言したは良いが、軍備も持たなかったのであっと言う間
に占領された国がヨーロッパにありますが、日本も今の
状況では同じ事に成る事は間違いないでしょう。
そう確信します。決して戦争を肯定するものではないが、
我が国ほど自国の安全保障を他国に全てを任し切っている
国は他に類を見ないでしょう。戦争をするのではなく
最低限、自国の安全くらい自国でやれと言いたいのである。
所詮、憲法9条とは言うが、アメリカにしてみれば日本
など社会主義勢力からの楯なのである。都合が悪くなれば
捨てるだけなのです。
でも今になれば終戦後、日本を余りにも骨抜きにした事を
当のアメリカが悔やんでいるであろう。全ての軍事に関した
関与の権限を放棄させたのだから。今、自国の御都合で
日本を軍事に関与させることにが出来ないで居るのだから。
と、言って憲法9条におんぶに抱っこでは日本は国際社会から
孤立して行くでしょう。金は出すが危ない事はしないでは
国際社会が納得しないのではないでしょうか。

何時だったかこんな話を以前聞いたことがある
アンケートを小中学生から取ったら、人間
は生き返ると云った子がいたそうですが、これ
には愕然としました。話は元に戻りますが、
いくら学校の教科書に太平洋戦争の事が詳し
く書いてなくても、良かれ悪しかれ、日本が
戦争をして大変な思いをした事くらいは覚えて
居て欲しいものである。
悲惨な戦争を起こさないためにもそうして欲しい
のですが、最近戦争の事は知らなくても、君が
代、国旗掲揚の問題に成ると俄然と張り切る若者
が折りますが、それで生徒と教育委員会と父兄
の板ばさみになり、何人かの校長先生が亡くな
っていますが、君が代を歌わない自由、それも良
し、国旗掲揚反対それも良いでしょう。しかし、
日本国民である限り国歌、国旗の否定だけはし
て欲しくないのが私の願いです。否定したら貴方
は何人という事に成ってしまいます。
世界も広いが、国旗、国家を否定する国民は日本
以外には見当たりません。ところがスポーツなどで
日本が勝つと変に日の丸を見て感激している人が
いますが、あれを見るとナンジャ〜こりゃ〜て感じ
になるのは私だけでしょうか?そうではないと思い
ます。
日の丸が戦争をした訳でもないし、君が代が
戦争をしようと云ったわけでもないのです。歌うこ
と、掲揚しないことは自由ですが、せめて国旗と国歌
としての否定だけはしないで欲しいものです。
この国を否定する事になるのですから。
戦争はどんな事があっても回避すべきものですし、
絶対に起こしてはならないものだと思っています。
そのためにも、悲惨であった戦争を語り継いで行
くべきだと思いますし、そうあるべきだと思います。
戦後も六〇年余の時を経て、語れる方も少なく成っ
ていますのでチャンスがある時は極力聞かせて頂
き、次の時代へ語り継いで行きたいと思っています。
明治は遠くなりにけりではなく、昭和は遠くなりに
けりの時代になってきました。戦争とは以下の
複雑な絡み合いがあって、不幸にして起きてし
まうのです。こんな経験を祖先たちはしてき
たのですから、この教訓を無駄にして欲しくはな
いです。

日本は江戸時代の鎖国を経て、海外からの圧力
及び国内内部より海外への開國機運が高まり、
多くの犠牲を出した戊辰戦争の後に明治政府が
成立し、明治維新によって開國されて以後、欧米
列強による亜細亜諸国に対しての植民地化に
危機感を感じて富国強兵を推し進めました。
欧米列強に立ち向かわなければ自國も共に
植民地化されかねないと、この貧しい國の富国
強兵を強引なまでの勢いで為し遂げていったのです。
この当時、亜細亜の國々は欧米列強に抑え込ま
れて、共に戦う國はありませんでした。そんな孤
立した戦いを強いられた日本であったが、当初は
欧米列強も特にイギリスは好意的に支援したの
であった。やがて日本は日露戦争で、ロシアと戦
う事となります。当時ロシア陸海軍は世界的に強
力な軍隊でした。そのため日本としては極力避け
たい戦いでしたが、南下してくるロシア軍に自衛
のために止むお得えず立ち上がったのです。日清
戦争も終わって間もない時期でしたので財政的
にも厳しかったのですが、イギリスもロシアに南
下されるのを由とせず英国は全面的に日本を支
援したため、吾が國は日露戦争に勝つことが出
来たのでしたが、厳しい戦いであったことに変わ
りはありませんでした。『日露戦争後は日本とロ
シアとは見かけだけの友好関係を確立していた。』
お陰で他國の予想を裏切って吾が國は何とか勝
利しました。
歴史的にロシアに脅かされていたトルコなどは
相当好意的だったようで、東郷平八郎元帥など
は未だに語り草だそうである。この当時はまだ
アメリカも好意的で講和に誠心尽力を尽くしてく
れたようです。日本が勝利を収めると、欧米諸国
は日本を見る目を違へてきました。あまりにも強
力になった日本を敵意の目で見つめ始めまたの
です。やがてアメリカは警戒心へと変わって行き
ました。これがやがて太平洋戦争へと続く序曲で
あったのです。

欧米列強は日本の軍事力を抑えようとして、一
九二二(大正十一)年二月六日ワシントン条約な
るものを制定し調印された海軍軍備に関する軍
縮条約日本、アメリカ、イギリス、フランス、
イタリアの主力艦(戦艦、巡洋戦艦、航空母艦、
基準排水量一万トン以上、三万五千トン以下で
主砲の口径は八インチ(二〇.三センチ)以上、
一六インチ(四〇.六センチ)以下)の保有量と
新規建造(むこう一〇年間)が制限された。これ
で日本海軍の八八艦隊計画は中止に追い込まれ
ることとなる。ロンドン会議では主力艦数をイギ
リス・アメリカ各一五隻、日本九隻に限定、
補助艦艇の総トン数比をイギリスアメリカ各一〇、
日本七とする不公平な条約を制定し、日本を抑
え込もうとしたのでした。しかしこの間の日本
側の指導者達も無為無策でありました。ほとん
ど何の対策をもとっていませんでした。やがて
中国の謀略によりアメリカは完全に方針を変
えたのである。最初から敵意をもって迫って
くる相手に通用するはずもなく、ほとんどが
思い通りに行きませんでした。国際的な外交舞
台では日本の外交は通用しなかったのである。
『そもそも陸軍に御執心の近江内閣が陸軍に
押し切られて三国同盟を結んだのであるが、
海軍は乗り気ではなかったようである。ドイツ
と対当したソ連(現ロシア)と中立条約を結
んだのが最後に響いてくるのであった。』強引
に自己主張をする白人社会に押し潰されてしま
ったのです。しかし先人たちの努力と犠牲を顧
みたら責める事はできません。終戦後、極東裁判
をはじめ現地まで連行してのB、C級戦犯の魔女狩
り的な報復裁判で、吾が國の指導層をはじめ多
くの無実の将兵を処刑しました。この裁判に
於いて唯一人日本を擁護したのは、インドの
パール判事だけであったのである。
この裁判以前の戦犯とされた経緯はどうあれ
責任を問われたのは間違いの無い事実なのである。
彼等A級戦犯の遺骨は家族の元には帰らなかっ
たと言う。そして墓を建てるのも憚(はばか)
られる様な状態であったと言う。
だが、最高責任者たる天皇は全く責任を問われる
事は無かった。何故か……

果たしてこの極東国際軍事裁判が正当
だったかと問われれば、NOなのである。
それはと言えば戦争とは戦時国際法では
認められたものである。
認められないものは非戦闘に行った残虐な
行為のみに科されるつみであり、法なので
ある。その他の戦闘行為では罪を問われる
ものではない。
どうしても裁きたかったのなら、戦場で
そのような行為を行った者だけを裁けば
良い事であり、それ以外の戦争行為で
敗戦国となった国の人間を裁くものではなく
又裁いてはならない。
国家間の戦争は伝統的な国際法上の合法制度
に法り普遍的に承認されてきたものなのである。
国際法の言う所の「決闘の法理」であり、平等
な法人格を持つ国家間に於いて是認されてきた。
国際法上の自己保存権を持つ国家が国民利益
を追求して相互に利害が衝突して平和手段で
解決されない場合に戦争はやむを得ないもの
と理解されているのである。
だが、アメリカは報復処置として日本側を法廷の
席に着かせ、強引に事後的に作り上げた法で
無理やりに我が国を裁いたのが極東裁判なの
である。
日本が非戦闘員に行った残虐な行為なら、米国が
行った東京大空襲(無差別爆撃)いや、東京ばかりが
空襲で無差別攻撃を受けたのではない。
日本全国の中小の都市がその犠牲になっている。
そして極めつけが広島、長崎への原爆投下なの
である。これこそが戦時下に於ける国際法違反
といえるのであり、裁かれて然りなのである。
戦後マッカーサーが日本の戦争は自衛戦争だと
言ったか言わないとかはどうでもいいのである。
例えばそれが本心だったか言い訳であったかなど
、そんなことは関係無い、何を言おうが無差別
攻撃で犠牲になった人々は帰らないのである。























































































































































































































(更新/2004/9/30) 秋風立ちし日に記す  Homepage Owner kanno


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