昭和16(1941)2月1日、リチャードソン大将に代わってハズバンド・エドワード・キンメル大将が、米太平洋艦隊司令長官となった。
その9ヶ月前、太平洋艦隊は、いつもどおり東太平洋での年次大演習を終わり、休養のため真珠湾軍港入港した。すると、
急に大統領から、艦隊はそのままハワイに常駐せよと命じられた。『目的は、日本政府が(ヨーロッパ戦線での)オランダの敗北
と、イギリス、フランス、の苦境に乗じて南方に進出することを、断念させるにある』そのとき太平洋艦隊長官から、そう説明された。
米海軍当局から、さっそく強い反対の声があがった。その急先鋒は、もちろん、当のリチャードソン長官。『艦隊の乗組員
が欠員だらけで、戦闘できる状態ではない。また、艦隊がハワイまで出ていって訓練するのは、機密保持上マズい。だいいち、飛行機
と潜水艦にたいする艦船の防御は、不十分である』陸軍参謀本部も駐留に反対である。『戦時、太平洋では、ウェーク、グアム、フィリピン
を失うのはやむを得ない、とされているのではないか』機動力の大きい艦隊は、米本土西海岸にいさえすれば、それで十分睨みを利かせられるはずである。
ここでおもしいろいは、米海軍の中に、『艦隊を真珠湾に進めても、日本を牽制することにはならない。むしろ敵の近くに
餌をおくようなもので、向こうから飛びかかってこさせるだけだ』と警告した意見があったことで、山本五十六長官の発想とピッタリ
。海軍の頭は、洋の東西を問わないらしい。リチャードソン長官は、どこまでも反対をゆるめず、大統領と衝突をくりかえした。リチャードソン、キンメルの長官交代は、それが理由だといわれる。しかし、それが事実かは疑わしい
ルーズヴェルトにしてみれば、あつかい難いリチャードソン大将よりは、自分があつかい安いキンメル大将のがなにかと都合がよかったのであろう。
真珠湾が攻撃を受けたあと、責任を全て押し付けるのにはもっとも適任者であったのであろう。
何にしても、キンメル長官の不運は、極まっていた。
|