Opening Day
Since 2004・9・19
The last updating 2009・08・25
Written by naoshi kanno(文責:菅野 直)
You are th crew
カウンター 無料カジノ便利ナビゲータお薦め10選!

貴方は

Sorry this page is Japanese only
日章旗

「JASRAC許諾」
「第J091216853号」

(Copyright by おやじの唄)

当サイトはIE8.0で動作を確認しています

Screen・1680×1050pixel

 

collar・32bitとfont size最大を推薦します

JASRAC許諾マーク

遥かなる 雲の彼方に眠る
  あまたの 若き 御霊に捧ぐ

曲・海ゆかば

ますらをの 悲しきいのち つみかさね
つみかさね まもる大和島根を

宮城遥拝

宮城遥拝

大伴おおともの 遠つ~祖かむおやの その名をば

大來目主おほくめぬしと おひもちて つかへしつかさ

海ゆかば水漬みづかばね 山ゆかば 草生くさむかばね

大皇おほきみの にこそ死なめ かえりみはせじと異立ことだ

  詠人 大伴宿禰家持おおとものすくねのやかもち

  『萬葉集』(巻第十八・四〇九四)より抜粋

海ゆかば
悠久ここに2600有余年 四方の国は千代に八千代に栄えましたり 清きその名をとどめおかん ますらをならむや大和魂 豊葦原の瑞穂の国は 今を栄と萌えいずりけり 

拉致被害者の早期帰国を
悠久 此処に弐千六百七拾年 幸ある御代に彌栄あれ
六〇年余の時を経て今も変わらぬ皇居二重橋・photo by 知一庵
すめ神の天降りましける日向なる高千穂の嶽やまづ霞むらむ
終戦間近六〇年余り前の皇居二重橋




海ゆかば


大空に雲は行き 雲は流れリ

  星は永遠に輝き 久遠にきらめく 空、空

    神風特別攻撃隊 第五筑波隊隊長

          海軍中尉 西田 高光 命


昭和十九年十月二十一日 特攻戦死第一号 戦果確認し得ず
二〇一空 戦闘三〇一飛行隊 海軍中尉 久納好孚 命
第一神風特別攻撃隊 大和隊隊長
爆装零式艦上戦闘機二機 直掩一機
フィリピン・セブ基地一六二五発


来る年も 咲いて匂へよ 桜花 

       われなきあとも 大和島根に


海ゆかば

水漬(みづ)く屍(かばね)

山ゆかば

草生(くさむ)す屍

大君の邊(へ)にこそ死なめ

顧(かえり)みはせじ

    詠人 大伴家持
    楽曲 信時 潔


上原良司陸軍少尉
上原良司陸軍少尉
久納好孚海軍中尉
久納好孚こうふ海軍中尉

明日ハ自由主義者が一人

この世から去っていきます。

彼の後姿ハ淋しいですが、 心中満足で一杯です。

云ひたい事を云ひたいだけ云ひました無礼を御許し下さい。

でハこの辺で…… 出撃の前夜記す(三式戦「飛燕ひえん」知覧発)

第五十六振武隊しんぶたい 陸軍少尉りくぐんしょうい 上原良司うえはらりょうじ







  • INDEX

  • HOME

  • MENU

  • LINK

  • 履歴書

  • 掲示板

  • 送受信器

  • LINK BURNER

  • なんでもお知らせ瓦版

  • 参考資料・文献


  • 葦原(あしはら)の 瑞穂(みずほ)の國を 天下(あまくだ)
    り領(し)らしめしける すめろきの 神の命(みこと)の
    御代(みよ)重ね 天(あま)の日嗣(ひつぎ)と領(し)らし
    来る君の御代御代敷きませる 四方(よも)の國には山河を
    広み厚みと奉(たてまつ)る 御調宝(みつきたから)は
    数へ得ず 尽くしもかねつ 然(しか)れども 我が大王
    (おほきみ)の諸人(もろひと)を 誘(いざな)ひ賜(たま)ひ善き事を
    始め賜(たま)ひて 金(くがね)かも たのしけくあらむ
    と思ほして 下(した)悩(なや)ますに鶏(とり)が鳴く
    東(あずま)の國の 陸奥(みちのく)の 小田なる山に
    金(くがね)ありと奏(まう)し賜へれ 御心(みこころ)を
    明(あき)らめ賜ひ天地(あめつち)の神(かみ)相珍
    (あひうづ)なひ皇御祖(すめろき)の 御霊(みたま)助けて
    遠き代にかかりし事を朕(あ)が御代(みよ)に 顕(あらは)
    してあれば食(を)す國は栄えむものと 神ながら 思ほしめ
    して物部(もののふ)の八十伴(やそとも)の雄(を)を 服従
    (まつろへ)の むけのまにまに老人(おいひと)も 女童児
    (めのわらはこ)も 其(し)が願ふ心足(だら)ひに撫(な)
    で賜ひ 治(をさ)め賜へば 此(ここ)をしもあやに貴
    (たふと)み嬉しけく いよよ思ひて 大伴(おほとも)の 
    遠つ神祖(かむおや)のその名をば 大来目主(おほくめぬし)
    と負(お)ひ持ちて 仕(つか)へし職(つかさ)海ゆかば 
    水漬(みづ)く屍(かばね) 山ゆかば 草生(む)す屍 大王の
    辺(へ)にこそ死なめ 顧(かへり)みは せじ
    と異立(ことだ)て
    大夫(ますらを)の清きその名を 古(いにしへ)よ 今の現
    (をつつ)に流さへる祖(おや)の子どもぞ 大伴と 佐伯
    (さへき)の氏は人の祖(おや)の立つる異立て 人の子は 
    祖(おや)の名絶たず 大君に奉仕(まつろ)ふものと
    言ひ継げる言(こと)の官(つかさ)そ 梓弓(あずさゆみ)
    手に取り持ちて 剣大刀(つるぎたち) 腰に取り佩(は)き
    朝守り夕の守りに 大王(おほきみ)の 御門(みかど)の
    守り我をおきて また人はあらじ と彌(いや)立(た)て
    思ひし増さる 大王の御言(みこと)の幸(さき)の[一云、を]
    聞けば貴(たふと)み [一云、貴くしあれば]

    反し歌・短歌三首
    大夫ますらを心思こころおもほゆ大王おおきみ御言みことさきの聞けばたふと
    大伴の遠つ神祖かむおやの奥つしるしめ 立て人の知るべく
    すめろきの御代栄みよさかええむとあづまなる陸奥みちのくの山にくがね花咲く

    天平感寶元年てんぴょうかんぽうがんねん五月一二日、越中國守の館に於いて、
    大伴宿禰家持おおとものすくねのやかもちが詠める。萬葉集 巻第十八 四〇九四・五・六・七ヨリ

    巻第十八 四〇九四・原文

    天平二一年二月二二日、陸奥國守百済王敬福
    より黄金が献上され、同年四月一日、聖武天皇は
    東大寺に行幸した際、黄金産出を大仏の前に報告
    したと伝えられる。
    家持は、家訓「海ゆかば」のお陰で、同日、佐伯宿
    禰毛人(えみし)と共に従五位に昇進した。
    この長歌は万葉集、巻一八 ・四〇九四に記されている。
    海行かばとして続く長唄の一部に昭和一二年に作曲家・
    信時潔(のぶとききよし)が曲を付け発表された。
    初めは、国民歌謡のひとつとして発表され、哀愁ただよう
    旋律をつけられ、当時の国民の愛唱歌の一つとして歌
    われた。その後、昭和一八年より儀礼などに歌われるよ
    うになり、軍事色の濃い歌とされてしまったよう
    であるが、決してその様な事は無い。この歌を軍国主義
    の典型のように毛嫌いする人もいる が。歌詞には、
    他國の國歌のような威嚇的であったり、攻撃的なところは
    まったく無い。この長唄の一節は大伴旅人の子で、万葉歌人
    を代表する八世紀の歌人・大伴家持の和歌(長歌と返し歌、
    短歌三首からなる)である。悠久より続く大和の國の
    自己犠牲的精神への決意がつづられている。
    仕へし職(つかさ)海ゆかば水漬(づ)く屍(かばね)
    山ゆかば草むす屍 大君の辺(へ)にこそ死なめ かへりみ
    はせじとは決して大君である天皇にのみ忠誠心を捧げたも
    のではなく、いざ非常時の時は自らの私的な感情など
    かえりみず、公のために身を投げ出しても悔いはないと
    荘重に語りかけるがごとくに歌われた和歌なのである。
    大化の改新前後には、(かばね)とは姓(苗字)を表す
    物で有ったのだから、言語は恐らくシカバネ(屍)
    と同じく骨を意味したものであろうと言われる。
    紆余曲折は有ろうとも、國家に対してはどうあれ、万民
    を守るために戦の庭に赴き、亡くなられた英霊の方々に
    鞭を打つような発言はして欲しくはないと思う次第である。
    家族、すなわち國をも含めた戦いで亡くなられた
    英霊の方々に改めて敬意を称したい。
    海を行くなら水漬く屍になろうとも、山を行くな
    らば、草むす屍となろうとも、大君の御ため
    ならこの身を投げ出しても悔いは無い、かえりみる
    事は無いであろうと歌った歌であるが、しかし、
    決して勘違いはして欲しくはないと思う。
    この唄は陸奥から金が産出されて、天皇へ
    献上されたと言うとても御目出度い歌なので
    すから。皆さん良くお考え有られよ。
    この日本が、現在この曲で戦争に向かうという
    ような、それ程に愚かな国だとおもいますか。
    それ程、自らの国に自信が持てないのでしょうか。



    『故郷を護るために散った若者たち』

    太平洋戦争の中にあって、青春のいっさいを祖國
    に捧げて戦った若者が、敗戦後、軍國主義者だ
    と罵倒(ばとう)され、己が身の保身に汲々(きゅう
    きゅう)としていた者が平和主義者として賞賛され
    るような風潮に義憤(ぎふん)を感じた人達も多かっ
    たと思う。
    この飽食の時代といわれる現在の安全地帯にいる
    傍観者(ぼうかんしゃ)たちは、戦争と理不尽な修羅
    (しゅら)の中に斃(たお)れた人々にむかって、
    さまざななことを喋り散らしています。
    なかには、戦場にむかった者すべてが”侵略者”
    だという自虐的な暴言を弄してる反日的日本人も
    いる。
    が、それは鏡に”戦争”という怪物が映っていると
    いって、鏡に唾を吐きかけるようなものではないか。
    鏡は、その反対の方向にある。
    要するに唾を吐いた人間は己に唾をかけていると
    いうことなのである。
    マッカーサー元帥が占領下の日本での翻訳(ほんやく)
    を禁じたという、GHQ(連合軍総司令部)女性歴
    史学者ヘレン・ミアーズが一九四八年(昭和二三年)
    に書いた『Mirrorfor Americans:japan』によると、”
    平和愛好国”を自称する欧米民主主義が、”極東
    軍事裁判”で裁いたのは、『実は・・・・』
    ニッポンという鏡に映った欧米列強自身の姿だった、
    という。パール・ハーバーは、日本の一方的攻撃
    によって仕掛けられた卑劣な奇襲作戦だったというが、
    日本が先制攻撃した訳ではない。先制攻撃を行ったのは
    米駆逐艦ウォードの方が日本の特殊潜航艇を攻撃している。
    攻撃は、青天の霹靂(へきれき)ではなく、連合軍側が、
    一、(アメリカ)二、(イギリス)三、(中国)
    四、(オランダ)包囲網を張り経済封鎖し、
    日本を挑発した経済戦争への反撃だったということは、
    私たちの公式記録が”事実”を明らかにしている・・・・
    とヘレン・ミアーズ女史は説(い)う。
    これは後に、マッカーサー元帥も一九五一年五月の
    アメリカ上院で、追詰められた日本の自衛戦争だったと認め
    ています。特攻の若者たちが、百死零生の死の飛行を続け
    てまで守ろうとしたのは、日本という祖國とそこに住む
    人々の命でした。しかし戦後その我が國を卑劣にも彼等
    は強引に裁いたのでした。

    米、英、蘭 特にオランダは戦後、執念深く極東
    裁判で日本人のA・B・C級戦犯者を絞首台へ送り込
    んだようです。部下の身代わりに成って亡くなられ
    た方が沢山いたようですし、現地で捕虜になり、
    戦犯と判決の下った者に相当に酷い事をしたようです。
    こんな行為が地球上で最高の民族は白人と思ってい
    る人々がすることでしょうか!
    時には戦犯者を灼熱の南洋の陽射しの中でなんの
    必要ともしない穴を掘らせて、又埋め戻させるような
    繰り返しを毎日のようにさせたそうです。気絶でもしよ
    うものなら二人がかりで珊瑚の上を引きずり回されて、
    傷だらけになった体に海水をかけられたといいます。
    これがヨーロッパ先進國の白人様のする事なのです。
    彼等は國際法は十分熟知していた筈ですが、この
    ような惨忍な事までしたそうです。
    それを、悪い事をしたのは全て日本だと云う様な顔を
    してとぼけています。
    白人よ君達は大航海時代の昔から、どれだけの酷い事
    を有色人種にしてきたのか、まさかお忘れではありませ
    んでしょうな…!

    終戦直後に、インドネシア義勇軍に参加して、オランダ
    から独立を勝ち取ろうと奮戦した、約二〇〇〇名とも
    三〇〇〇名ともいわれる日本人義勇軍兵士がいた事も
    忘れられない。卑劣にもオランダ、イギリス軍は敗戦國の
    日本兵の捕虜をインドネシア独立義勇軍部隊に自分たち
    の手を汚すことなく立ち向かわせたのです。
    この卑劣な行為に怒り、日本兵のインドネシア独立義勇軍
    に参加する兵士が増えたという。
    特に学徒出陣者が多かったようである。日本が約束した
    東亜の開放という約束をそのままにして日本に戻るの
    は耐えれなかったのであだろう。
    四年半に及ぶオランダとの激戦で、老若男女含めて
    八〇万の死者を出している。約三〇〇〇名といわれる
    日本人義勇兵も一〇〇〇名ほどの犠牲者を出している。
    独立戦争に参加して戦死した日本人兵士はジャカルタ
    の英雄墓地に葬られて、今はそこで静かな眠りについ
    ている。
    この話を聞いていただければ分かると思いますが、
    この戦いが引き金になり亜細亜の國々が独立していっ
    たと云っても過言ではないでしょう。
    世界よ何時までも平和であれと我は祈らん。

    静かに故郷の空をしのびて


    母上様 亡き父よみそなせ
    御祖父母様 可愛いき弟妹よ お元気にお暮らし下さい
    ませ。今政男は感激に満ち溢れる気持にて書いて居り
    ます。何もかも申す事は今更に無く唯皆様の御健康を
    御幸福を御祈り申し上げて居ります。
    思ひ起こせば一九年の生涯花の一九を『つぼみ』と
    散れど何も惜しみませう。散り行く政男の心の曇りなさ
    を思へば。満ち足りた今の幸福感 何の心残りも無く
    思ひ残す事も有りません。光輝ある海鷲の一員として
    今こそ御役に立ち得まする事、大東亜決戦の勝敗を
    双肩に負ひ立ち、精鋭中の精鋭として全海軍全国民
    の血の出る如き期待を寄する最新鋭機の搭乗員とし
    て奮闘出来ますことは、何と政男の誉又喜此れに過
    ぐるものも無く、且又母上様皆様共に喜んで下さいと
    願つて居ます。必殺の念燃ゆるが如き闘魂もって敵
    の艦隊に突入政男の勇姿を御想起下さい。
    政男は米英を撃滅する迄は決して倒れません。
    一身は仮令南海に朽ちるともきつと生きて居ります。
    朝に夕に護國の鬼として、又母上の心の中に故郷
    の土の上に永遠に生きて居ります。
    母上、どうぞ御元気で御活し下さい。妹よ弟よ、母
    を助けて立派に御役に立ち得る人間になつて呉れ。
    お祖父母様、養生充分になし末永く日本が大東亜
    決戦を得るをお見届け下さい。
    薄暗きランプの下急いで書きました。明日を前にして
    唯撃滅あるのみの心に誓ひ、且つ又静かに故郷の
    空をしのびて武運ありや又否や期し難く、又武運あ
    れかしと敢て望むを得ず、命あらば又便り致します。
    此の便りは暇が無いので戰友に送つて頂きます。
    恩賜の煙草と一緒に。
    御健勝御幸福を御祈り申上げます。

    昭和一九年一〇月      政男

    母様  皆様に

    海軍少尉  植村真久と愛娘素子

    いざさらば我はみくにの山桜ヨリ


        「愛児にのこした手紙」

    『素子 素子は私の顔を能まなく見て笑ひましたよ。私の
    腕の中で眠りもしたし、またお風呂に入つたこともありました。
    素子が大きくなつて私のことが知りたい時、お前のお母さん、
    佳代伯母様に私のことをよくお聴きなさい。私の写真帳もお前
    のために家に残してあります。素子といふ名前は私がつけた
    のです。素直な、心の優しい、思ひやりの深い人になるやう
    にと思つて、お父様が考へたのです。私は、お前が大きく
    なつて、立派な花嫁さんになつて、幸せになつたのを見届け
    たいのですが、若しお前が私を見知らぬまゝ死んでしまつても、
    決して悲しいんではなりません。お前が大きくなつて、父に
    会ひ度いときは九段へいらつしゃい。そして心に深く念ずれば、
    必ずお父様のお顔がお前の心の中に浮かびますよ。父はお前
    は幸福ものと思ひます。生まれながらにして父に生きうつし
    だし、他の人々も素子ちゃんを見ると真久さんに会つてゐる様
    な気がするとよく申されてゐた。またお前の祖父様、祖母様は、
    お前を唯一の希望にしてお前を可愛がつてく下さるし、お母様
    も亦、御自分の全生涯をかけて只々素子の幸福をのみ念じて生
    き抜いて下さるのです。必ず私に萬一のことがあつても親なし
    児などと思つてはなりません。父は常に素子の身辺を護つて
    をります。優しくて人に可愛がられる人になつて下さい。お前
    が大きくなつて私のことを考え始めた時に、この便りを読んで
    貰ひなさい。
              昭和一九年〇月吉日  父

                         植村素子へ

    追伸 素子が生まれた時おもちやにしてゐた人形は、お父さん
    が頂いて自分の飛行機にお守りにして居ります。だから素子は
    お父さんと一緒にゐたわけです。素子が知らずにゐると困りま
    すから教へてあげます。』  素子殿        父


    第一神風特別攻撃隊大和隊だいいちしんぷうとくべつこうげきたいやまとたい 海軍少尉植村真久命うえむらなおひさのみこと
    大正八年生 東京都出身 立教大学卒 学徒予備士官
    昭和十九年十月二十六日 比島スリガオ海峡洋上にて戦死 
                        享年二十五歳

    雲ながるる果てに
    戦歿海軍飛行予備学生の手記 白鴎遺族会編 (1985・7) より

    大分県師範学校
    西田高光 命
    大分県出身
    海軍第十三期飛行予備学生
    大正十二年四月一日生
    昭和二十年五月十一日没
    神風特別攻撃隊「第五筑波隊」
    南西諸島洋上にて戦死
    享年二十二歳 海軍少佐

    西田中尉

    写真・いざさらば我はみくにの山桜より

     「民族の誇り」

    神風特別攻撃隊第五筑波隊長 西田高光(大分師範)は、鹿屋基地で出撃を見送ってくれた海軍報道班員山岡荘八氏 の問いにこう答えている。戦争当時、海軍報道班員であった山岡荘八氏は海軍の鹿屋基地に配属された。そこで山 岡氏は特攻隊員の『闊達さと自由さに時に傍若無人にさえ見えて、その実、接近するほど離れがたい別の美しさ』を 感じていた。この底抜けの明るさがなぜ隊員達にあるのかという疑問をいつか解きたいと考えていた。彼はこの質問 をすることの出来そうな相手を見つけた。それが西田高光中尉であった。西田中尉は入隊以前、昭和一七年四月四日 から一八年九月まで、一九歳の若い教師として郷里の国民学校に奉職。 六八名の教え子に兄と慕われた。そして、 その師弟間の文通は飛行科予備学生として海軍入隊後も続いた。二〇年五月、古畳の上で胡座して、教え子に最後の 返事を書いていた西田中尉に、『この戦を果たして勝ち抜けると思っているのか?負けても悔いはないのか?今日の 心境になるまでにどのような心理の波があったかなど・・・・・』と質問した。西田中尉は、重い口調で、現在ここ に来る人々は皆自分から進んで志願した者であることと、もはや動揺期は克服していることを話した。そして最後に 『学鷲は一応インテリです。そう簡単に勝てるなどとは思っていません。しかし負けたとしても、そのあとはどうな るのです・・・・・おわかりでしょう。われわれの生命は講和の条件にも、その後の日本人の運命にもつながって いますよ。そう、民族の誇りに・・・・・・・』と言われたそうである。文化の創造を志した学徒達の、画一的な軍國 主義に矛盾を感じながらも、苦悩を抑えての「いさぎよさ」の陰に 身をよじって慟哭する父母の悲憤の想いもあった ことを知って戴きたい。西田高光が命をかけた講和の条件は、その二ヶ月後にポツダム宣言(降伏勧告)として発表さ れた。西田高光少佐が孤独な思索の中で紡ぎだした結論である。彼等の出撃は作戦的には全く無意味、戦果は限りなく 零に近いだろう。作戦上の効果を論ずるとしたら功利的観点に立つということだが、特攻出撃は功利の観点を超越した ところにある発想のものだった。

     
    西田少佐の言葉で「講和の条件にも」つながると見ているのはこの青年の冷静な知性を窺わせ、ただ敬服するしかない。 だが重要なのは敗戦必死としても「その後の日本人の運命」にひびく深刻な意味が「特攻」にはこもっているという、 この一事である。つまり「誇り」高き敗北を可能ならしめるか否かの問題である。そして現実に特攻死は誇るべき死で あった。敗戦は、当時の欧米帝國主義の視点で捉えれば、「民族追放」か「民族浄化」を意味する。どんなによくても 奴隷扱い、悪ければ皆殺しである。彼等の誇り高き死があったればこそ、日本の存続を可能たらしめ、亜細亜の国々の 独立の契機となったことは紛れもない事実なである。西田は死に装束となる新しい飛行靴が配給された。すると、彼はす ぐに部下の片桐兵曹を呼び出し、『そら、貴様にこれをやる。貴様と俺の足は同じ大きさだ』と言った。いかにも町の アンチャンという感じの片桐兵曹は顔色を変えて拒んだ。『頂けません。隊長のくつは底がパクパクであります。隊長は 出撃される・・・いりません。』すると『遠慮するな。貴様が新しいマフラーと新しいくつで闊歩してみたいのをよく知っ ているぞ』『命令だ。受取れ。おれはな、くつで戦うのでは無いッ』 彼がパクパクとつまさきの破れた飛行ぐつをはいて、 五〇〇キロ爆弾と共に大空へ飛び立っていったとき、山岡氏は見送りの列を離れ声をあげて泣いたそうである。 西田中尉の出撃の二日後、中尉の母と兄嫁が基地にたずねてきた。真実を話せなかった山岡氏は、中尉は前線の島に転勤した と告げ休息所に案内したが、そこには『西田高光中尉の霊』が祀られ香華がそなえてあった。あわてた山岡の耳元に兄嫁が 『母は字が読めません』とささやく。その場を取りつくろったつもりで二人を控室に伴い、お茶が出された時だった。『ありが とうございました。息子がお役に立ったとわかって、安心して帰れます』山岡氏はいきなりこん棒でなぐられた気がした。 文字は読めなくても母親の勘ですべてを悟った中尉の母は、丁寧に挨拶し、兄嫁を励ましながら涙一滴見せずに立ち去った。 西田家に六男三女あり、三男まで戦死して、『最後の従軍』が発表された頃、西田家にはまだ三つの遺骨箱が並べられていた。 中尉の意志を継いで教師となった四男久光氏は、両親を助け葬式を出した。西田家の戦争は終わった。

    雲ながるる果てに 社団法人白鴎遺族会編より抜粋

    皆さん今年は、早、終戦の年より六十四年目の時を迎えて、尊い命が國の為、家族の為、愛する者の為に 散華なされて逝った事を忘れないで下さい。そして、後世へ伝えて行こうではありませんか。 一命を以って国のため、愛する者のために散華して逝った丈夫(ますらを)達の事を末永く語り継いで、英霊の鎮めにならんと吾は祈らん。 他国の批判、内政干渉、愚論愚言如きは吾 聞く耳持たざらん。あるは唯正論のみ。
                         管理人 拝     

      人間の偉大さを見た

    戦争末期の数か月間にアメリカの 圧倒的な
    物量と技術的優位の前に、決定的な
    優勢 を敵に許してしまったとき、日本人は
    対抗手段を過去からひき出してきた。
    すなわち伝統的な国家への殉死、肉弾攻
    撃法である。このことをして、我々西欧人
    はわらったり、あわれんだりしてもいいの
    だろうか。むしろそれは偉大な純粋性の
    発露ではなかろうか。
    日本国民はそれをあえて実行したこと
    によって、人生の真の意義、その重大な意義
    を人間の偉大さに帰納することのできた、
    世界で最後の国民となったと筆者は考える。
    たしかに我々西欧人は戦術的自殺行動
    などという観念を容認することができない。
    しかしまた、日本のこれら特攻志願者の
    人間に、無感動のままでいることも到底でき
    ないのである。彼らを活気づけていた論理が
    どうであれ、彼らの勇気、自己犠牲には
    感嘆を禁じ得ないし、また禁ずべきでもない。
    彼らは 人間というものがそのようで
    あり得ることの可能性を、はっきりと我々に
    示してくれているのである。
    (中略)結果としてのいたましい敗戦に、
    この行為はあまりにも不合理ともみえよう。
    そして この行為に散華した若者たちの命は、
    あらゆる戦争におけると同様に無益であった。
    しかし彼らの採った手段があまりにも過剰で
    かつ恐ろしいものだったにしても、これ
    ら日本の英雄たちは、この世界に純粋性の偉大
    さというものについて教訓を与えてくれた。
    彼らは一〇〇〇年の遠い過去から今日に、人間
    の偉大さというすでに忘れられてしまった こと
    の使命を、とり出して見せつけてくれたの
    である。

    ベルナール・ミロー著・KAMIKAZE(神風)より抜粋

      至上の愛国心

    日本の軍隊には、天皇のために死ぬことを

    至高とする思想が強く流れていた。

    特攻は、このような「理念」の産物であると

    いってよいであろうか?

    しかし私は あの特攻に注いだ隊員の

    至上の愛国心を忘れることができない。

    自分の国・この郷土を愛することができなくて

    どうして自分だけが幸せに生活できるのか!

    よき意味の愛国心をもりたてるとともに、

    あのような犠牲を強いることのない国に発展

    して ほしいと私は念願する。


       豊田穣・著「決定版昭和史」より抜粋



     ひとこと申し上げて置きたき事があります。9.11同時多発テロや、ロンドンの 同時多発テロをKAMIKAZE ATTACKと称する馬鹿者が居りますが、 勘違いして欲しくはありません。神風特別攻撃隊は決して民間人に は攻撃はしては居りませんし、一人たりとも犠牲にして居りませんので、 お間違いあらせられませぬように。

     9.11同時多発テロ、ニューヨーク世界貿易センタービル破壊をグランド・ゼロ と悲しむのなら、8.6広島、8.9長崎のグランド・ゼロはどうしたら良いのでしょうか?。 あの民間人の住む街の中心へ、マンハッタン計画とやらで、時の米大統領ハリー・S・トルーマン は無差別に大量虐殺を行い、そして発した言葉が、原子爆弾を使用したお陰で戦争が早く終り、百万人の人が救われたとの たまったのでした。放って置いても、もう戦う余力も無かった日本に、そして一カ月も持ちこたえられそうも無い 瀕死の我が国に、あのような原爆という卑劣な悪魔の兵器を使ったあげく、自らの国には非は無いと言わんばかりの 発言をしています。

     そのアメリカこそ大虐殺を正当化した偽善者では無いかと、 私は今でもその様に認識しております。ニューヨーク世界貿易センタービルで亡くなられた民間の方には 哀悼の意を込めて黙祷を捧げようとは思うが、アメリカの国にそうしようとは思わない。 アメリカよ、自分たちの国だけが悲劇のヒーローになろうとするのは虫が良すぎる。それなら日本のグランド・ゼロで亡くなった 民間人は一体どうすれば良いのか教えていただきたいものである。今でも被爆者は苦しんでいるのです。 それを正当化できる神経には畏れいる次第であります。

     彼等テロリストと、神風特別攻撃隊は、人を殺傷する事は確かに同じかも知れ ませんが、思想の根本的理念がまるで違います。 特攻隊と自爆テロは、白人たちにとっては全く同じ行為 と思えるのでしょう。しかし、本質的に全く異質なもの なのです。白人、特にアメリカ人などとは伝統が違う のであります。それを理解しろと言う方が無理なのであろうが、 他民族などには判からない自己犠牲精神の美徳の伝統で あり、誇りである。我が国の文化など判りはしないであろう。 ここまで踏まえて物事を報道しろと言いたい。

     イスラムのテロと日本軍の特攻攻撃とはどこが違うのかと言えば、 前者は平時における民間人をも巻き込んだというか、ほとんど民間人が犠牲になっているのが実情の 無差別攻撃であるが、要するに前者はテロリズム(恐怖)であり、後者は戦時下における作戦上の軍事目標に 限定された攻撃である。すなわち軍事行動であるのだからして、 敵に恐怖感を与えてはいるものの、これは戦争なのです。 皇祖皇宗(こうそこうそう)の悠久の昔を持ち出そうとは言わないまでも、飽くまでもこれは軍事行動であり、 テロリズムではないということだけは知っておいて欲しいものです。また、この事実を皆さんに 御理解して頂きたいと思う次第であります。しかし、テロリストばかりではなく、それ以前の大東亜戦争中にアメリカも、この無差別攻撃を我が国 にも行い、50万人以上の人々を犠牲にしたのです。

     又あの、イスラムの自爆テロでありますが、他人のための 自己犠牲精神など全くなく、自らのために行なっている 行為にすぎないのです。俗世で果たせなかった思を、黄泉(よみ)の国 で果たそうとせんがために行なっている、利己主義的 発想心なのです。要するに、現在の戦いはイスラム教徒とキリスト教徒の宗教戦争なのです。しかし、神風特別攻撃隊は、自己を 犠牲にして国を護り、そして家族や愛する者たちを守るための 自己犠牲的精神で行なわれた行為であるのは事実、間違いの無いことなのであります。宗教色も利己主義なども全く無いのです。イスラム教 のように利己主義的な発想は全く皆無なのであります。

     いや、イスラムとは言うまい。全てのイスラム教徒が悪いように聞こえてしまうので、テロリストと呼びましょう。 更に申し上げれば、キリスト教徒のと言うか、アメリカの行動も見るに耐え難い行動を取り、テロの標的に成っても仕方の無い 傲慢(ごうまん)さが大いに窺えるのであります。己の国を中心に地球が回っているがの如き振る舞いには、イスラム教の人々で無くとも 反感を持つのではないでしょうか。まるで世界を牛耳ったかのような世界の警察官気取りなのです。イスラム教もキリスト教もそれぞれの 思想も有れば伝統もあるのですから 、認めるところはお互いに認め合わなければ、いつまでも延々とテロ活動は続くことでしょう。

     彼ら祖先は、ヨーロッパを出て、アメリカ大陸に渡り、開拓と表して邪魔なネイティブ・アメリカン(インディアン)を居留地に追い込みました。 更には1835年、当時メキシコ領であったテキサスに入植していたアメリカは、メキシコのサンターナ大統領に抵抗して義勇軍を募り、 ウイリアム・トラヴィス大佐・デビィー・クロケット大佐らを中心にテキサスのサン・アントニオン郊外の古い教会アラモの砦に立てこもった180有余名の 義勇軍は4000名に及ぶメキシコ軍と戦い、13日間の時を守り抜き、玉砕した。

     だが、その13日間の間にサム・ヒューストンは軍備を整え、 メキシコ軍を討ち破ることとなる。"Remember Alamo"(リメンバー アラモ)を合言葉にメキシコ軍を撃破した。結果テキサスを独立させた他、アメリカ合衆国は テキサスはおろか、現在のアリゾナ、カリフォルニア、 コロラド、ニュー・メキシコ、ネバダ、ユタ、ワイオミング州の地域をメキシコから 奪取して、メキシコの半分を我が物としてしまった。アメリカは"Remember"という言葉が好きである。日本がパールハーバーを奇襲した際も"Remember Pearl Harbor" を合言葉に、ついには仮想敵国としていた日本軍を追い落としたのである。

    そして更に西へ西へと領土を拡大して行きました。 更には1894年、武力でハワイ王朝の支配権を奪取しすやハワイ共和国を作り上げ、アメリカ合衆国はこれを4年後に併合してハワイ王朝を消しさり、我が物としてしまった。 そしてアメリカの勢いは衰えず、1898年、スペインへの抵抗運動が続くキューバにて、アメリカ人保護を理由にアメリカはスペインを撃破し、表面的にはキューバを独立させるが、事実上キューバはアメリカの保護国とし、後に植民地としてしまった。 更にはフィリピンの独立政権をも潰して、1898年にはアメリカ合衆国に併合てしまったのです。 その後も留まるところを知らず、太平洋の島々を自国の物として西へと押し進み、 結局、最後には日本と衝突することとなったのです。だからアメリカとの戦いは自衛戦争であったと言っても過言ではないのです。マッカーサーも戦後、公に認めています。

     そして、あわよくば戦後中国までも自国の物にせんとばかりの勢いでアジアまで到達しました。どうして戦中アメリカが中国へ多大な支援をしたか、もうお分かりと 思いますが、 アメリカは大東亜戦争中に日本軍と戦う蒋介石の国民党と、毛沢東率いる共産軍に支援したのです。それは戦後、中国を共産圏にしないで、自国の自由にできる国 にして置きたかったのです。現在の日本のようにです。

     そのために蒋 介石の国民党軍への多大な物資の支援をアメリカは行ったが、戦後再び勃発した中国国内の国民党軍と共産軍の内戦で、 蒋介石は毛沢東の軍門に降り、台湾へと遁走したのでした。蒋介石が毛沢東に負けずに、共産軍を掌握することが出来ていたなら、 中国は共産圏にならずにすんだが、見事なまでの毛沢東の勝利となり、 アメリカのもくろみは徒労に終わったのです。

     そして彼らアメリカ人は日本を叩かんがために、旧ソ連にまで北より国境を越えさせるための密約 をしていたのでした。そのため膨大な支援を行い、 食料から兵器、はてはジープまで供給していたのです。 そして戦後は朝鮮半島の半分、三十八度線までは手中に収めてしまったのです。 この時、北朝鮮と同盟を組んだ中国国民軍は、北朝鮮を支援して戦い抜いたのです。そのため今も朝鮮戦争は終結ではなく、休戦しているだけなのです。 その際、数度に渡りアメリカに核の脅威を示された毛沢東も核開発をして、 アメリカに対抗したのであった。その結果、中国も核を保有をすることとなったのです。むろん言うまでも無く、旧ソ連も中国に先駆けて核を持つ事となり、これが 東西冷戦の始まりとなったのです。

     今は中近東へと更に西に進んで、アラブ諸国まで思いの儘にしようとしていますが、アラブ強行派の国に反発に遭って、現在のテロ問題が起こったのですが、 アラブ諸国ばかりではなく、イスラム教のインドネシアやトルコ各国で民間人を巻き込んだ自爆テロが繰り返されています。 世界の皆さん良くお考え下さい。ある評論家にいわせると、特攻も自爆テロも同じだと云いますが、私にはそのようには思えません。 国際法上、あのテロは戦闘としては認められた攻撃ではないのです。どうか民間人非戦闘員だけにはそのような行為はして欲しくは ないのです。そしてもう一つの問題は、イスラエルの横暴をアメリカが容認しているところが更に イスラムの人々には許せないのでしょう。それも分からないではないが、行動は軍事施設だけにして欲しいものです。

     しかし、何はともあれ 欧米人は最終形態のみ捉え、自爆テロと神風とを混同 した見方で解釈している。神風特別攻撃隊はもう二度と 繰り返してはならない行為であったことは事実ではあるが、 しかし、特攻隊員として散華(さんげ)していった英霊の国への、また 愛する家族への楯とならんとした事は美化するべきでは無いと思うが、称賛されて然るべきだと私は思って います。彼ら特攻隊隊員の犠牲は、国の不甲斐なさと、大本営軍上層部の作戦の無能さがもたらした悲劇なのですから。左翼の人々はどうあれ、 一般の日本人の方々には御理解頂きたいと 思う次第です。

     左翼などではなく反日日本人は、一億国民が戦っている時に戦争反対などともっともらしい事を影で言い、 共産主義、ソ連(現ロシア)の日本侵略を助け、自らは隠れて身の保身を考え、散々逃げ回ったあげく、 いざ戦争が終わるや、平和主義者面をして、のこのこと出て来た 連中になど分かって欲しくも無いですが、戦争が好きで国民は戦争をやっていたのでは無いのである。 左翼がどうの、右翼がどうのと言うことではなく、真剣にその時に日本国民としての責任と行動をとったかである。 己だけが安全な場所に隠れていては居られないと、一般国民は一丸と成って戦いぬいたのである。 我が住む地の人々は、昭和二〇年三月一〇日から終戦まで続いた空襲にもめげず、軍の疎開(そかい)指示にも従わず、死なば諸共(もろとも)と頑張りぬいた。 それが私の誇りでもある。

     己は何もしないで、共産国家ソ連の進行を助けたような左翼主義者、いや、反日日本人が余計な事を云う なと声を大にして申し上げたい。 また、欧米人のように特攻隊の内情も知らずして、 他国はおろか、戦争を知らない日本国民までもが誤解するような報道などはするなと、断固として申し上げておきたい。 特攻隊のしたことは戦闘行為であり、戦争なのである。戦闘員である軍人を目標とした軍事作戦であり、民家人を巻き込んではいないのです。 現在の自爆テロは、非戦闘員である民間人などを目標にした行動なのです。

     戦争は決してしてはならない行為ではあるが、国と国との戦いは、今のアメリカやイスラエルが行っているテロリストへの報復的戦争は現在認められないが、 第二次世界大戦当時は、各国に国際法上で「戦争権」(開戦権・交戦権)認められていた正当な行為であり、 戦闘だったのです。 古来より日本武士道は、己の犠牲の精神から成り立って来たのである。 葉隠れの精神である。『武士とは死ぬ事と見つけたり』の精神なのであり、これぞ日本民族の伝統であり、誇りなのです。

     この精神が欧米人には分からないのであろう。虫の鳴く音もうるさいとしか感じられない、侘びも寂も分からぬ国民性の白人には分かりはしないであろう。 判からずとも良いではないですか。アメリカなどは多くの原住民「ネイティブ・アメリカン」を抹殺するような行為をしてきたのである。そのような民族に 判かって欲しくもないと思います。散々彼らは民族浄化と侵略を繰り返して二一世紀まで来たのです。そんな連中にとやかく言われること自体、 片腹痛い思いであります。

      自爆テロは民間人も何も無く巻き込む許されざる行為であり、暴力なのである。見る限り軍事目標にテロ行為を行っているとは決して思えない。 弱い立場の民間人を目標に行っているとしか思えません。 欧米人は特攻隊と自爆テロを同一視してみているが、日本国民として、これは心外の極みであり、 特攻隊と自爆テロを同一視していることに対して、紛らわしい報道はするなと抗議をしたいのである。 神風特別攻撃隊は自らが愛する人達のために心ならずも執った 行動ですので、まるで思想理念上に於いて相反しているのです。

     しかし、戦争に道理(みち)などありはしない、正義も何もありはしないし、 決して綺麗なものでもなく、格好の好いものなどでもありません。 私も戦争は知らない世代ですが、両親や伯父などに戦争の醜さ、空襲の恐怖などを聞かされたものです。母親なども、もう二度と戦争 は起きて欲しくはなし、起こして欲しくもないと、事あるごとに申しております。

     一言申し上げておきますが、決して大東亜戦争を美化しようとも思いませんし、特攻が全て志願で成り立っていたとも思っては居りません。 半ば半強制的な部分もあったと思われます。そして更には、特攻の修羅の中に散々放り込んで若い命を奪っておいて、己は敵前逃亡のような行為をして 戦後、責任もとらず、おめおめと生き抜いた将官などはいざ知らず、この戦争で亡くなられた方々は全てが戦争の犠牲者であるのです。 しかし、決してこの戦争が間違ったものではなかったと言う事も述べておきたいのです。 白人国家の支配主義に立ち向かい、亜細亜はおろか、その他の有色人種国家の独立にも繋がった、大東亜戦争は一部の反日日本人を除き、多くの日本人の犠牲を 伴なったが、決して無駄な事だったとは思われないのです。しかし、この戦争を否定してしまったら、亡くなった人たちは浮かばれないのではないでしょうか。

     また、政治には意見を述べる権限が無かったといわれる昭和天皇ですが、開戦の詔勅を下した戦争最高責任者と言うことは間違いのない事実なのでありますから、 責任が全くないなどとは言えないのです。 しかし、今後、今上天皇には、日本の国の象徴天皇としての役割を果たして頂き、国の心の支えとなられる国家の象徴になられれば一番最良の道ではないかと思われます。

     今でもアメリカの横暴で、海外で繰り返される無益な戦争を終わらせ、  早くこの地球上から戦いの無くなることを切に熱望して止みません。更に、中国の幾多の人権無視と粛清の国策、そして何かと日本の動向に一喜一憂する 韓国、そして北朝鮮の優柔普段さに我々日本国民は翻弄されることなく、毅然とした態度で対応するべきと心したいものである。

    HOMEPAGE OWNER  KANNO










    参考文献
    近藤出版社・豊田 武著 日本史小百科『家系』
    (講談社文庫)中西 進・著 万葉集―全訳注原文付卷第18 その他の万葉集文献
    PHP研究所・神坂次郎・著
    特攻隊員の命の声が聞こえる
    (戦争、人生、そして我が祖国)
    PHP研究所・歴史街道 保坂正行・著ムルデカに栄光あれ・廃刊
    日本放送出版協会 私の遺書
    アジア太平洋戦争NHK出版/編より抜粋。
    白鴎遺族会編集・雲ながるる果てに―戦歿飛行予備学生の手記廃刊
    早川書房・刊 KAMIKAZE(神風)
    ベルナール・ミロー著/内藤一郎 訳
    東京経済・刊 三村文男・著 神なき神風より抜粋!
    光人杜・刊・森本忠夫著・「特攻」外道の統率と人間の条件より抜粋
    毎日新聞社・刊 豊田穣・著「決定版昭和史(12)」より抜粋 
    長野信濃毎日新聞社・刊・あゝ祖国よ恋人よ
    新版 ・きけわだつみのこえ
    上原 良司・著 中島 博昭 編
    1977年・CBS SONY オリジナル・サウンドトラック アラモ解説文より・廃盤
    展転社・刊・企画・靖国神社
    いざさらば我はみくにの山桜ヨリ「学徒出陣50周年記念」特別典の記録


    Copyright(c) 2004-2009 yusyu. All rights reserved



    【 Page Top▲先頭へ戻る】