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曲:日本海海戦
gunkanki

Z    旗

Z  旗


東郷平八郎元帥
東郷平八郎元帥


経 歴
日本海軍軍人
東郷 平八郎
1848年1月27日(弘化4年12月22日)生
1934(昭和9)年5月30日没
薩摩国鹿児島郡加治屋町(現、鹿児島市)出身
日本海軍軍人・元帥海軍大将
従一位 大勲位功一級 侯爵
1863(文久3)年 薩英戦争参戦
 戊辰戦争では同藩海軍の三等士官として参加
 薩摩藩軍艦「春日」乗組
1868年1月28日(慶應4年1月4日) 阿波沖海戦
1869年5月6日(明治2年3月25日) 宮古湾海戦
 「春日」の艦尾機関砲で襲撃してきた幕府脱走軍に応戦
1871年5月1日(明治4年3月12日) イギリスに留学
1879(明治12)年9月5日 「比叡」乗組
1880(明治13)年1月5日 「迅鯨」乗組
1881(明治14)年12月27日 「天城」乗組
1883(明治16)年3月12日 軍艦「第二丁卯」艦長
1884(明治17)年5月15日 「天城」艦長
1885(明治18)年6月20日 海軍中佐
1889(明治22)年7月1日 「比叡」艦長
1890(明治23)年5月13日 呉鎮守府参謀長
1891(明治24)年12月14日 巡洋艦「浪速」艦長
1894(明治27)年4月23日 呉海兵団長
1894(明治27)年7月〜1895(明治28)年 日清戦争
1894(明治27)年7月25日 豊島沖の海戦(高陞号事件)
1895(明治28)年2月16日 海軍少将
1896(明治29)年3月23日 海軍大学校長兼将官会議議員
 5月14日 海軍中将
1899(明治32)年1月19日 佐世保鎮守府司令長官
1901(明治34)年10月1日 舞鶴鎮守府初代司令長官
 12月28日 第一艦隊司令長官兼聯合艦隊司令長官
1904(明治37)年2月〜1905(明治38)年 日露戦争
1904(明治37)年6月6日 海軍大将
 8月10日 黄海海戦
1905(明治38)年5月27日〜28日 日本海海戦
1905(明治38)年6月14日〜12月20日 聯合艦隊司令長官
1913(大正2)年4月21日 元帥
1934(昭和9)年 侯爵
 5月30日0700 死去 享年87


Z旗が意味するもの

 Z旗は国際信号旗で、その名の通りアルファベットのZを表し、一字信号では、 『引き船を求める』または『投網中』(漁場で操業中の漁船が用いたとき)などの意味を持つ。 一九〇五年(明治三八年)日露戦争の際、対馬海峡に向け、北上するバルチック艦隊を発見した 旨の報告を受けた際に名参謀 秋山中佐が作成したとされる『敵艦見ゆとの警報に接し、 連合艦隊は直ちに出動、これを撃滅せんとす。本日、天気明朗なれども波高し』という有名 な電文を基に、空の色と波立ちを表しているといわれる。

一九〇五年五月二十七日午後一時五十五分、バルチック艦隊を目前に、連合艦隊旗艦「三笠」のマ ストに、黄、赤、黒、青で染め分けられた信号旗が翻(ひるがえ)った。Z旗」である。 信号旗とは、船同士の意思疎通に使われるもので、アルファベットや数字など、万国共通のデザイン となっている。もともと「Z旗」は、「タグボート(曳船)がほしい」という意味で、現在も使用されている。 しかし、Zがアルファベットの最後の文字であることから、「この戦いに敗れれば後がない」とい う意味で、海戦のときに用いられるようにもなった(初めて用いたのは、トラファルガーの戦いのと きのネルソン提督だったという説もある)。日本海海戦のとき、連合艦隊はこのZ旗に、特別に「 皇国ノ興廃此ノ一戦ニアリ、各員一層奮励努カセヨ」という意味を込め、士気の昂揚(こうよう) を図ったのである。ただ、旗が揚がったとき、各艦では士官たちが水兵にこの意味を説明した が、一般の水兵たちは「皇国の興廃」といわれても意味がわからない者が多かった。そこで、あ る士官は、「今日こそ頑張らんとお国が滅びる、みんなしっかりやれ」と噛み砕いて伝えたという。 日本海海戦の大勝利の後、日本海軍では重要な海戦の際に、Z旗を揚げることが慣例化する。太平 洋戦争の真珠湾攻撃の際、奇襲部隊の空母「赤城」もZ旗を掲げていた。

その後、太平洋戦争ではほとんど使用されていない。
ロゴマークの意味は『青い海と荒波』 だそうである。




(更新/2005/06/22) 梅雨の雨降る宵に記す   Homepage Owner  Kanno


 
参考文献 
光人社 ・刊 星 亮一著 東郷平八郎伝―日本海海戦の勝者
(PHP研究所〕・刊半藤一利・戸高一成共著『日本海海戦かく勝てり



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