|
一九四五年八月一五日、天皇陛下が玉音放送で日本の降伏を
知らせると、アジア各地に散らばっていた日本軍は次々に降伏
をしていった。そして日本軍により、その地を追われていた
イギリス、フランス、オランダなどの国は、再びアジアを]
植民地にしようと、再上陸を始めようとした。しかし日本の
降伏からわずか二日後の八月一七日、インドネシアでスカルノ、
ハッタの二人の独立運動家が民衆の前で演説を行い、高らか
に独立宣言書を読み上げた。宣言書の年号には西暦ではなく、
日本の皇紀が採用されていたと言う。これを認めないオランダ
らの国々がインドネシアに宣戦布告し、インドネシア独立戦争
が勃発した。降伏した日本軍はオランダ軍に協力して、インド
ネシア人を監視するとみせかけ、裏では武器を彼らに横流しした。
それがばれるとインドネシア側の味方について、全面戦争に
参加した。「大東亜共栄圏」、アジア解放の理想を信じていた
二〇〇〇人の日本兵は、戦闘の最前線に立ち、インドネシア人
を指揮した。徹底したゲリラ戦の結果、四年五ヶ月の戦争で
八〇万人が死亡し、半数の一〇〇〇人の日本兵が戦死<した。
ついにオランダは再植民地化をあきらめ、一九四九年一二月
にオランダのハーグにての会議で独立を認めた。と言うか、
アメリカにやや強引に独立を認めさせられた。アメリカは
アジアの国々が、共産圏に目を向けるのを恐れての事であった。
一〇〇〇人の日本兵は、インドネシアの国営英雄墓地に埋葬
され、六人の日本人が独立名誉勲章(ナラリア勲章)を受賞した。
そして、インドネシアの独立記念日には、民族衣装を着た
男女二人と、日本兵の服装をした一名とで国旗を掲揚すると
言う。同じように日本に勇気づけられ、アジア各地で民衆は
蜂起し、欧米諸国からの独立を勝ち取っていった。
|