「あ」号作戦とは、昭和一九年
(一九四四)五月の大本営指示に
よれば「決戦兵カノ大部ヲ集中シ
テ、敵ノ主反攻正面ニ備へ、一挙
二敵艦隊ヲ覆滅」するといういわ
ば帝国海軍伝統の漸減邀撃作戦に
もとづいたものであった。そして
その原型は、殉職した古賀峯一連
合艦隊(GF)司令長官が主張し
ていた「Z作戦」にあった。
一九年二月、クェゼリン、ルオ
ット等のマーシャル失陥によっ
て、古賀長官の第一次Z作戦計画
は潰(つい)え去る。
しかし古賀大将はな
お屈せず、二月二九日パラオに移
動、三月八日新Z作戦要令を発令
する。その要旨は、
「マリアナ、カロリン、ニューギ
ニアを結ぶラインは絶対確保しな
ければならない。敵の来攻に際し
ては、わが艦隊は付近の島嶼喚に展
開した基地航空部隊と協同、集中
可能の全兵力を挙げ、航空機を主
体として決戦す」
というもので、決戦線をマーシ
ャル諸島からマリアナ、西カロリ
ンの列島に後退させたいまこそ、
伝統の邀撃戦法を実現する好機だ
と、古賀長官は考えたであろう。
こうしてサイパンは、本土から西
部ニューギニアを結ぶ「縦列不沈
連合艦隊」の旗艦となるはずであ
ったが、古賀大将の不慮の死によ
って実現されなかった。
そういう
意味で古賀長官は、小澤治三郎中
将の指揮する第一機動艦隊の活躍
もさることながら、角田覚治中将
の率いる基地航空部隊である第一
航空艦隊に大きな期待をかけてい
た。
しかし、この航空兵力が、別項
で述べたような経過をたどって急
速に消耗し、いざ決戦の日には役
に立たなかったのである。そうい
う意味では、「あ」号作戦を直接
指揮した小澤第一機動艦隊長官
は、決戦に臨むにあたり、大きな
ハンディキャップを背負わされて
いたともいえよう。
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