無数の危険を突破して三月一〇日、ビスケ
ー湾の奥深くに入る。翌一一日の明け方、イ
ギリスの攻撃機数機が来襲し、ドイツ機隊と
空戦を始めた。この航海で初めて伊二十九潜
の二〇ミリ機銃が火を噴き、英機を撃退し
た。エニッケ中尉は、日本海軍の射撃技術は
素晴らしいと、手を叩いて喜んだ。
ロリアン港に遊づくと、機雷除去のためド
イツ掃海艇が先に立ち、伊二十九潜の進路を
掃海してくれて無事に入港。ブンカーと呼ば
れる潜水艦の防護施設へと引かれていった。
そこに入って、木梨艦長以下全員は、ようや
く安堵(あんど)する。潜航時間は六六〇時間に達して
いた。全員体にこびりついた垢(あか)を落とし、
のび放題のひげを剃って、身も心も軽くした。
四月一六日、伊二十九潜は十数人の便乗者
を乗せ、V1,V2ロケット、ジェットエン
ジン、局地戦闘機、潜水艦用聴音機などドイ
ツ新兵器の設計図類とそのモデルを積んで帰
途につく。これらの技術資料をもとに、のち
の局地戦闘機秋水、特殊攻撃機橘花、(きっか)特攻機
桜花(おうか)などが生まれたという。
敵が厳戒中のビスケー湾、荒天下(こうてんか)の
南緯四〇度線などが待ち構える地獄の海路を、伊二
十九潜は引き返すのである。
帰路八九日間におよぶ忍苦(にんく)の長旅を終えて、
木梨艦長以下全員は昭和一九年七月一四日、
シンガポールに帰港した。便乗者と新兵器の
設計図類をおろし、大任の大部分を完了する。
往復半年間の深海行であった。
七月二二日、便乗者約一〇人を乗せて伊二
十九潜は内地に向けシンガポールを出航。半
年のうちに戦局は一変していた。フィリピン
以北から日本近海に至るまでの海域の要所
に、アメリカは潜水艦を配備し、迎撃態勢を
固めていた。
七月二六日一七時ころ、フイリピン北部のル
ソン島北方バリンタン海峡を浮上航行中、米
潜の魚雷を受けたのである。台湾まであとひと息の地
点であった。艦名をもじって「不朽(ふきゅう)(二九)」
と呼ばれていた伊二十九潜は、木梨艦長ら一一〇余人
とともに海中に散った。助かったのは恩田耕輔
(おんだこうすけ)上等兵曹ただ一人である。
だが、乗員たちの超人的な健闘は、木梨艦
長の功績とともに、潜水艦戦史に輝く金字塔
を打ち立てたのであった。
木梨鷹一少将の御家族の、お孫さんからこのページを閲覧いただき、大変喜んでい頂いた事に感謝を致します。
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(更新/2005/09/14) 秋らしくなりし日に記す。 Homepage Owner kanno
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