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香取航空基地跡・旭緑地公園





          
旭緑地公園内・旧海軍香取航空基地跡 慰霊碑

旭緑地公園内・旧海軍香取航空基地 慰霊堂


  旧滑走路北端にあたる旭緑地公園に,特攻隊員と空襲の犠牲者を悼む慰霊碑がひっそりと建っている。 JR総武本線干潟駅より一二六号線を経てアサヒ鎌数工業団地方面に徒歩約二五分ほど歩くと、 千葉県立東総工業高等学校に隣接した道路の向かい側にある旧香取航空基地の北側滑走路西端の 地点にたどり着く。訪れる人も殆どない静かな公園の敷地内に慰霊碑は佇んでいる。慰霊碑が建立されたのは 昭和五十一年十一月二十三日だそうです。
私も時々訪れるが、未だ一度も人に会った事の無いほど静まり返っている。車が時々通る程度で人影はない。 この奥の工業団地内に現在は自動車部品メーカーのテストコースとして使用されている旧滑走路がある。

  この地より昭和二十年二月二十一日、村川弘大尉率いる第六〇一海軍航空隊、神風特別攻撃隊・第二御楯隊隊長、村川弘大尉が記した遺書とも言える 『いにしえの防人たちの行きしてふ道をたずねてわれはいで征く』との

 『防人(さきもり)とは、筑紫(ちくし)・壱岐(いき)・対馬(つしま)などの北九州の防衛にあたった 兵士たちの事を防人と称したと言われる。 六六四年に中大兄皇子(なかのおおえのみこ)が防人と烽(ほう:烽火(のろし)の制度を定めてより、百年余り続いたとされる。 これは、前年(六六三年)の朝鮮半島での白村江(はくすきのえ)の戦いに敗れたため、防衛のために三年周期の 交替で関東より兵が赴いたと言われる。防人と言うと先の大戦を思い浮かべる方が多いようですが、いにしえの昔より 大陸からの護りに備えていたのです。旅立ちの前に鹿島神宮に参り、武運長久を祈り鹿島を立ったことから、ぞくに鹿島立ちと 言われた。

和歌を残し香取基地を後にした。硫黄島沖の米機動部隊に零戦・彗星・天山を以って同日夕刻、特攻攻撃を敢行し大成功収める。米正規空母『サラトガ』(大破)を再起不能にし、 護衛空母『ピスマルク・シー』(撃破)にも突っ込み、燃え上がったピスマルク・シーは誘爆を起こして海底の藻屑と消えた。 その他、護衛空母ルンガポイント(小破)・貨物輸送船ケオック(小破)する大戦果を上げた。 この攻撃隊は関東よりの初の特攻攻撃隊であった。

   第二御楯隊の散華   喪失二十二機、戦死四十五名    (合掌)         






(表)   香取航空基地戦没者之墓    (裏)
旭緑地公園内の墓石1
 
旭緑地公園内の墓石2

























  この墓石ではないと思われるが、供養碑なのか?敷地内の左奥の、よく見ないと見過ごしてしまうような場所にひっそりと立っています。果たして実際にお骨が埋葬されているかは 分かりませんが、香取航空基地戦没者之墓と標されている。裏面には昭和三〇年一二月 遠藤義雄建之と記されているので、この慰霊碑が此処に 出来る以前は私の想像であるが、この当時は工業団地も無かったので、滑走路の周辺に建立されていたものを此処へ慰霊碑建立に伴い移設したものと思われる。




 
慰霊碑

慰霊碑



 

慰霊碑碑文




慰霊碑碑文

この地は太平洋戦争末期に完成せる香取海軍

航空基地の跡成り 慰霊碑はこの飛行場より

飛び立ち訓練に或いは 戦場に向かいそのまま

還らざりし若鷲達と空襲により 没せし市民有志

は彼等に限りなき敬意と愛情を抱く 全国の戰友

と近隣の市民有志は 英霊よ永遠に安らかなれ

と祈り又 将来の平和の礎たれ と念じ互いに

力を合わせ この碑を建立し 謹みて碑内に

慰霊簿を納む

昭和五十一年十一月二十三日 慰霊碑建設期成会 
































ノースアメリカン T-6 テキサン高等練習機

テキサンT6練習機


  慰霊碑の反対側を望むと、慰霊碑の前方に屋根の付いた建物内に何故かT-6 テキサン高等練習機・P&W(プラット・アンド・ホイットニー)空冷星型600馬力の展示されているのが見える。 チョット意味不明だが、海上自衛隊から旭市が借りて展示しているようである。でも小型機を傍で見たことの無い人は一度くらい見てもいいでしょう。




テキサンT6練習機



テキサンT6練習機



テキサンT6練習機



テキサンT6練習機説明札






旧海軍香取航空基地跡
旧海軍香取航空基地跡テストコース立札
 
旧海軍香取航空基地跡テストコース




















  このフェンスの中に旧海軍香取航空基地跡の滑走路があったが、現在は車のブレーキとそれに付随するABS装置などのテストコースとして、日清紡K.Kが残存していた滑走路を改修して使用しているようです。





日清紡K.Kの正門

旧海軍香取航空基地跡に立つ自動車部品メーカー正門


  此処、日清紡K.Kの正門の中に旧海軍香取航空基地跡がある。香取航空基地は当時としては規模の大きな基地で、滑走路は十字のように真ん中で交差するものであったそうです。 四十四ヘクタールの土地に、南北一五〇〇メートル、東西に一四〇〇メートル、幅一〇〇メートルの完全舗装された大規模な物であったそうである。





旧海軍香取航空基地跡を掩体壕より望む
旧海軍香取航空基地跡を掩体壕より望む



  八日市場市春海の掩体壕附近より香取航空基地跡方面を南東に向かって望むと、遠く白い建物の見える周辺が旧滑走路 附近である。
六〇年余り前に、この北総の穀倉地帯に大規模な航空基地があったとは思えない程の静けさで稲穂が風に揺れていた。







旭市緑地公園
所在地 旭市鎌数字川西一番5146番32

(更新/2005/09/28) 秋風立ちし頃に記す  Homepage Owner  Kanno


香取航空基地跡・旭緑地公園


参考文献 
発行・千葉日報社 石橋正一・著
幻の本土決戦(房総半島の防衛『第二巻』
香取海軍航空基地 特別攻撃隊第二御楯隊
千葉県八日市場市・生涯学習課、市史こぼれ話より一部抜粋

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