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gunkanki


スイス・エリコン社方式
九九式二〇粍機関砲
  







九九式二〇粍一号三型固定機銃


靖國99式20mm機銃



靖國99式20mm機銃解説


この機銃は平成元年、ラバウル在住のジョン・F・ディクソン氏から日野自動車工業株式会社に譲られ 、更に同社から國神社に奉納された。























九九式二〇粍二号四型機関砲と零戦二一型


99式20mm二号四型機銃と零戦二一型



99式20mm二号四型機銃
九九式二号四型二〇粍機関砲
                                                      
全長 1.885mm
銃身長 885mm
重量 37.57kg
使用弾薬 20mm
装弾数   片翼60発
弾丸重量123.5g
発射速度 535発/分
初速 750/s
給弾方式ベルト給弾式
口径20mm








































九九式 一号三型二〇粍機関砲


                                                      
全長 1.331 mm
銃身長 812mm
重量  23.2kg
使用弾薬 20mm
装弾数   片翼60発
弾丸重量123.5g
発射速度 535発/分
初速   600m/s
給弾方式弾倉式
口径20mm









日本海軍二〇粍機銃装着機

1型 輸入したスイス製
1号銃(エリコンFF型の国産型)
零戦11型、 21型
2型 1型をそのまま国産化した型 32型、 22型
3型 2型を空気装填油圧発射式にした型 紫電11型
4型 弾倉式からベルト給弾式に変更 雷 電
2号銃(エリコンFFL型の国産型) 2型 FFL型の国産化した型
3型 1号3型の初速増大型 零戦52型
4型 1号4型の初速増大型 52型甲以後
5型 2号4型の初速改良型 烈 風








日本海軍二〇粍機銃種類


型 式 方 式 初 速 発射速度 有効射程 給弾方法等 重 量 全 長 口 径
1号11型 旋回銃 600m/s 520発/m 730m 弾倉式45発 23.0kg 1.331m 20mm
1号1型改1 固定銃 弾倉式60発 不詳
1号2型 弾倉式60発 不詳
1号3型 弾倉式60発 23.2kg
1号4型 金属ベルト式125発 27kg
2号3型 固定銃 750m/s 480発/m 914m 弾倉式100発 37.6kg 1.885m 20mm
2号4型 500発/m 金属ベルト式125発 37.57kg
2号4型
の改造型
2号5型
760m/s 750発/m 金属ベルト式150発 38.5kg
  • 1号はF型短銃身、 2号はL型長銃身、弾倉給弾方式であったものを、海軍が金属製ベルト給弾方式に改良を施し、 携行弾数を125発×2=250発とする。
  • 昭和13年、スイス・エリコン社より技術者を招きライセンス生産規約を結で、昭和14年7月より大日本兵器株式会社で生産が始まる。その後、日本国内で改良された。
  • 弾薬: 1号: 20 x 72RB (123g)、2号: 20 x 101RB (123g)
  • 99式20mm機銃弾


     以下に掲載した20mm機関砲の銃弾は当時の物ではなく、攻撃ヘリ、アパッチの物であるが、大きさを見て頂くために参考掲載しました。携帯電話と比べて下さい。 弾は以下の種類が弾倉に込められていた。普通弾・徹甲弾・曳光弾・焼夷弾の四種類が装填されていた。




    二〇粍機銃の威力説を否定した坂井三郎氏。

     昭和年14(1938)、日本海軍はスイス・エリコン社より輸入して採用した。翌15年にはライセンスを 取得して国内生産の準備が整い、新たに「九九式 二〇mm 機関砲」の名称が与えられた。九九式 二〇mm 機関砲には短銃身の一号と長銃身の二号が有った、給弾は 60 発入りドラム弾倉であったが、 のちに金属ベルト給弾式に改良され125×125となる。 九九式一号は発射初速が遅いうえ弾道が垂れやすいかった。当初保守的なパイロットから 「無用の長物」「百害あって一利なし」と評されるほど嫌われた。だがその破壊力には目を見張るものがあり、 特に重防御の米軍機に対する効果は絶大であった。

     とは言ってもそれはベテランパイロットだけに言える事で、 若い未熟なパイロットには只無駄弾を撃つだけで、60発×2の120発の弾はアットいう間に使い果たして しまったという。大戦後半からは更に破壊力を増した長銃身TYPEの二号銃が二二型(甲)より使用されるようになった。 (零戦五二型・甲)から二号四型ベルト給弾式125発×2=250発となり装弾数が増える。零戦をはじめ 日本海軍戦闘機のほとんどに装備され活躍した。 九九式二号は銃身が長くなり、重い弾頭を高初速で発射する事が出来るようになり、 一号型よりは使い良くはなったようではあるが、やはりそれは ベテランパイロットだけに言える事であったようである。

     零戦に搭載された20mm機銃、特に一号系は初速が遅いため『(FF)が600m/s』 弾道が垂れてしまうため、機体装着時に垂れを計算してセットしていたと言うほどの小便弾だようである。 坂井氏曰携行弾数も少なく『零戦二一型が装備していた一号銃は方翼60発×2=120発で、 未熟なパイロットが使用するとわずか数撃すると 使い果たしてしまったそうで、あとはただ弾の無い使い物にもならないお荷物を翼に抱えて戦わねばならなかった。 坂井中尉や西澤中尉などベテランは特にこの二人は、使用弾数が少なかったと言われているので、 無用長物にはなら無かったであろうが、 未熟なパイロットには重い重量物を抱えて戦って不利な状態に陥っていたと言っても過言ではあるまい。

     坂井、西澤らベテランは、敵に気づかれないように、時には10mに何々とする距離まで詰め寄って数発で落したと 言われていますし、現実に坂井氏も著作。『大空のサムライ』で一発で落とすことを試みて失敗し、二発目で落として ガッカリするほどの腕前を当時のエース級の搭乗員たちは持ち合わせていたといた事を匂わせるような発言をしている。 たしかに、時には一発で落とした事もあったようである。坂井氏の著作、『大空のサムライ』でそのように述べています。 しかし、一般に20mm機銃は凄いと信じられているようであるが、それはベテランが使用してのことであり、 又当たればの事であったと言う。未熟な若手のパイロットが使用すると、ネコに小判で用を成さなかったようである。

     何しろ、初速は遅いは、弾は重くGが掛かると垂れるはで、坂井氏曰、『ションベン弾』だと述べるのである。 戰闘機搭乗員が理想として求めたものは、直線弾道であり、弾速が遅くダレる弾など格闘戦になったら まず当たるものでは無いと坂井氏は言う。吹流し射撃試験ですらまともに当たらず、命中弾を 得たためしが無かったと坂井氏を以ってこの有様なのである。 そもそも全く弾道も初速も違うこの二つ、7.7mm機銃と20mm機銃を一機の飛行機へ搭載して 使用とした事自体が間違いであったのだ。瞬間を争う戰闘機では、一つの遅れが命取りなのであるのにも関わらず、 ただ見た目だけの威力だけで海軍上層部の大艦巨砲主義に凝り固まった海軍中枢部の愚かなデスクワーク しか知ら無い人間たちが決めてしまったのである。

     この連中は、現場からの言う事も設計者の言う事も聞かずに独走したのであった。何と愚かな事をしたのであろうか、 当時採用になったばかりの頃、中国大陸では最も実戦経験の豊富な海軍第12航空隊では、初速列少の 携帯段数の少ない20mm機銃は単座戰闘機にあっては、百害あって一利なしと意見具申をしたが、 海軍上層部は現場に疎く結局海軍上層部はそれを黙殺してしまった。 設計者もさぞかし作り難かった事でしょう。上げくに20mm機銃の弾丸は高価で太平洋戦争開戦まで どこの戦闘部隊も実写訓練をしなかったと言うお粗末さであったと言う。とても信じる事は出来ませんが 、これが事実であったようです。 この20mm機銃神話は、戦争も知らない人間の実戦経験の無い人々が戦後作り上げた偶像だとも語っている。

     その点に於いて7.7mm機銃『九七式胴体内固定銃』は、発射初速900発/分 〜1,000発/分で 金属ベルト給弾式の通常680×2=1.360発ほどの携行弾数があり、銃口初速 747m/sほどあり 弾の垂れも少なかったので、使いやすかったのでないかと思われる。 坂井氏などベテランは挙って7.7mm機銃を破壊力の無い分、一ヶ所へ集中して撃ち込んで落とした 方が多かったと語っている。20mm機銃は零戦開発頭発から、あまり評判は良くなかったようであった。 零戦の兵装に選定にあたって横須賀海軍航空隊で200m射座固定試験をしたところ 7.7mm機銃では鉄板が凹んだ程度であったのに対し、20mm機銃は一発で吹っ飛んだため『これは凄い』 と言う事となり海軍は採用を決定したのであった。

     たしかに20mm機銃は1発当たれば撃つい出来る事も事実あったようである。太平洋戦争劈頭の開戦時には、 20mm機関砲を搭載していたのは零戦だけであった。アメリカ軍機が装備していた コルト・ブローニングM2重機関銃(AN-M3)と比べると、銃自体の本体重量は20mm一号機銃よりやや重く アメリカ軍戦闘機は片翼に2挺合計4挺が標準装備であった。零戦は片翼1挺ずつの計2挺で、戦闘機は出来れば出来るほど 自重を軽くしたいのであるからして、5〜10kgの重さでも操縦性が変化し性能に大きく左右したため この自重差は大きな利点であったであろう。しかしそれも米軍側が零戦に対向しえるグラマンF6Fヘルキャット がデビューするまでであった。このわずかな重量差は零戦の倍にも及ぶエンジン出力でカバーしてしまったのである。

     しかし、99式20mm機銃の方が若干大きかったが、99式20mm機銃にはコルト・ブローニングM2重機関銃(AN-M3)にはない 炸裂弾であったので破壊力は目を見張るものがあった。その結果、零戦は運動性能に優れ、また20mm機関砲 の破壊力で無敵であったと言われているが事実は少し違っている。 坂井三郎氏が言うようにションベン弾で機首に搭載した、97式7.7mm機銃とは初速も弾道もまるで別物であり、 可なり戦線の搭乗員からは初期には不評であったようである。

     7.7mm機銃は発射後500m地点で296cm弾垂するが、20mm機銃は同じ地点で490cm弾垂したと言われている。 同じ機体に積んでいる銃器の弾道が違っていたのではさぞ使い難いことであろう。また、99式20mm機銃自体の 信頼性もあまり高くなかったらしい。99式20mm機銃は圧縮空気作動式と言う方式をとっていたが、 これは当時の日本でも結構高度な技術で開発段階でもなかなか苦しんだ。強引に量産化したためにその 遠隔装置の故障が相次いだと言われている。

     ちなみに7.7mm機銃は胴体内についており、銃本体後部が 操縦席の左右にあったので自らコッキングが行なえたため多少のジャムならなんとか自分で修正が出来たが、 主翼内でのジャムはどうしようもなかった。 99式20mm機銃は通常弾は榴弾だった。10gの炸薬が入っていっており、発射してある程度飛んだら自爆する仕組み になっていたのだが、銃身内部で自爆する筒内破烈してしまう通常弾も多かったようで、紫電改では三四三空の 菅野直大尉がこの事故で主翼を飛ばされ帰らぬ人となったと言われている。 その後、は自爆しないように設計されて作られたもののそれでも自爆事故が絶えなかったようである。

     九九式一号銃、FFLをライセンス生産した九九式二号銃及び両者の改良型であり、初速は一号銃 (FF)が600m/s、二号銃(FFL)が750m/s、携行弾数は60発ドラム給弾「一一型〜三二型搭載」・ 後に100発大型ドラム弾倉「二一型〜五二型搭載」・125発ベルト給弾「五二甲型以降搭載」と弾数は 増えていくのであったが、その分重量も自ずと増える事となった。 初速について云えば、胴体内に搭載された7.7mm機銃が740m/sであることを考えれば、一号銃でも 極端に遅い訳ではないが、弾垂れは如何ともし難かったのである。二号銃では僅かではあるが、 7.7mm機銃より初速は速くなっているのである。 しかし、一号銃の初速では、貫通力が弱くB-17の防弾板を貫くには至近距離まで近寄らねばならず、 海軍側はそれを考慮に入れて、初速の速い二号銃の採用に踏み切ったのである。 しかし、今尚コルト・ブローニングM2 「12.7mm機関銃」は使用されていると云う事は、名器である事の 証拠であることは疑いの予知は無いであろう。






    九九式二〇粍機銃弾図解

    99式20mm機銃弾図解





    二〇ミリ機銃装備の経緯


     戦闘機の威力はその飛行性能と装備機銃の効力によって定まる。言い換えれば機体、発動 機は戦闘機の生命ともいうべき火器を運ぶ手段であると言ってもよい。 飛行機用機銃は世界各国とも最初7.7mm級のものが使用された。7.7mm機銃は次 第に主役の座を12mm級、20mm級に譲っていったが、太平洋戦争中までは使われ続けら れた。しかし、零戦が完成する以前の九六艦戦などの航空機ではまだまだ主流であった。 十二試艦戦(後の零戦)の計画が行われるころに制式機となっていた日本の陸海軍戦闘機 のすべて(ともにビッカース式から発展した海軍の九七式、陸軍の八九式機銃を装備)と外 国戦闘機の大部分は7.7mm2挺を装備していたが、フランスを始めとして欧州各国とく にドイツ、ソ連などにも2挺7mm級、20mm級装備機がすでに出現し始めていた。

     このような世界的趨勢の中にあって、わが陸海軍は、まず昭和十一年にイスパノの20mm ・モーターキャノンなどの研究試作を行ったが、いずれも採用されなかった。 これには機銃事態の構造や、重量の問題があったのではないかと思われる。 次いで昭和十二年ごろ、陸軍は2挺12・7mm機銃(キー四三、後の一式戦隼に装備)、20mm機銃 (キー四五、キー四五改/二式複座戦屠龍の前身に装備)と順を追って進んでいったようである。 わが軍が7.7mm機銃から一足飛びにエリコンの20mm機銃を採用したのは、十二 試艦戦が計画される約一年前のことであったという。

     (7.7mm)より大きい航空機用機銃が要望された時、当時各国に現存する大口径の機銃を 調査して見た結果。その中で最も注意をひいたのがスイスのエリコン社の20mm機銃だったようである。  これは欧州大陸諸国ではすでに一部で使用されていたが、米英などではまだ採用されてい なかった。この機銃は初速は低いが、重量も軽く、しかも炸裂弾が発射出来るので戦闘機用 としては最適のものであると判断した。が、外国から製品を買う政策をとれば容易にわが海軍 の戦闘機生産数が推定されるという悩みがあったのである。これはしかし致し方ない事であるので、 自国生産を急いだのではないかと私は推測している。

     当時日本海軍では、航空機用機銃も一般艦船用のものと同じく、すべて海軍艦政本部の所 管で・その生産は海軍工廠が担当していた。そこでまず艦政本部に相談したところ、航空機、 に対する認識不足のために、賛成が得られなかったらしい。まだまだ海軍部は飛行機の時代になるとは 思っていなかった事が窺えるのである。が、将来の航空機の発達を考えるとき これは一日も放置できないほど重大な問題であったのだ。そこで7.7mm機銃は従来通り艦政本 部に任せ、20mm機銃だけは航空本部で直接扱うことに改案した。これは間違い無く正解で あったと云っても過言では無いでしょう。

     そこでエリコン杜から 製造権を買って、民間会社にその生産を委託するという方法を取ったようである。幸いこの案は航空本 部技術部長原五郎少将、航空本部長山本五十六中将の賛成するところとなった。最初生産引 き受けを交渉した有力四社のうち三社は未知数なこの事業を辞退したようであるが、山本本部長の熱意 が報いられて、浦賀船渠の寺島健社長が快くこれを引き受けてくれたのが、昭和十一年四月のこ とであった。

     海軍航空本部では、直ちに、浦賀杜に対し、FF型(後に海軍で九九式一号といわれたも の)百挺と弾薬包一万発(両方の価格は計三百万円)の発注を行い、また翌十二年以降は最 少一ヵ年機銃六十五挺、弾薬包一万二千発の発注を約束したのであった。 寺島社長は、高度の技術を要する機銃の生産を国内で始めるに当たって、往年わが海軍が 初めて火薬製造の技術をイギリスから導入したとき、英人技師を招いて万事その指導によっ て平塚の火薬廠の基礎を築いた故知にならい、エリコン本社から有能な技師一行を招いて完 備した施設を造るとともに、技術導入の計画を樹立したのであった。

     同社の石原副支配人と船田技師が スイスに赴いて、約七種類の機銃の日本における製造権と、その後五年間の改良進歩の技術 資料の提供、技師、工員の派遣などの契約を結んだ。  こうしてエリコン杜のケンピン技師一行六名が来朝したのが昭和十三年三月、神奈川県富 岡の浦賀船渠杜富岡兵器製作所が開所したのが同年七月のことであった。同所は翌年七月独 立して大日本兵器株式会社(後の日平産業)となり、本格的な生産を開始した。 その当時採用した20mm機銃のその弾丸の威力は7.7mmや12.7mmより格段に大きかった。 昭和十二年、海軍が十二試艦上戦闘機(零戦)の試作を開始した時、この機銃がその翼内装備機。 銃として間に合ったことは幸いであった。

     後に零戦が重慶の初陣で大戦果をあげたとき、時 の航空本部長豊田貞次郎中将は、三菱、中島の両社とともに大日本兵器社に感謝状を贈って いる。いかに20mm機銃の実力を評価したかが窺える。  その後日華事変から太平洋戦争と戦局は次第に発展し、零戦の生産が増加するに従い、20mm 機銃の需要も急激に増加したのため、同杜は富岡のほかに六ヵ所の工場を増設したようである。が それでもなお足らずに、海軍の豊川工廠と多賀城工廠でも20mm機銃の生産を行うようにな った。その結果生産総数は終戦までに三万五〇〇〇挺に達したと云われる。「20mm機銃は戦闘機 のみならず陸攻、飛行艇にも使用された」のである。 こうして海軍で採用された20mm機銃は、零戦の出現と相まって大いにその威力を 発揮したのである。

     海軍では20mmに次いで、太平洋戦争開戦後、ドイツのラインメタル系の一式7. 9mm、二式13mm(ともに旋回銃)を、さらにアメリカのコルト・ブローニング系の三 式13mm(細かく言えば13.2mmの固定および旋回)を採用して、これを零式以後の 飛行機に装備した。「後の零戦A6M5B(乙)以降の零戦にも使用された。」 引き続きアメリカの陸海軍機、特に重爆撃機の重防御に対抗するために 五式30mmの完成を急ぎ、実用実験の終わるのももどかしく、昭和十九年完成の局地戦闘 機天雷、昭和二十年完成の特殊迎撃戦闘機秋水、昭和二十年秋完成予定の戦闘機烈風改 その他に装備が計画予定され、その生産も始められていた。

     が、30mm機銃は遂に実戦には間に合 わなかった。また40mm固定銃の試作も行われていた。なおラインメタル・ボルジッヒでは 50mmのMK二一四Aが、ラインメタルとクルップでは数種の55mm機銃などという途方も無い物 までが研究されていたのであった。 その後、終戦の二十年までこの20mm機銃は、良くも悪くも使い続けられたのである。







    九九式二〇粍機銃と弾丸

    99式2号4型20mm機銃と弾丸


     写真の20mm機関砲は、九九式二号四型ベルト給弾式で、下方左側の弾丸が零戦五二型・甲(A6M5a)より使用された物で、 右側の弾丸は一号機銃の弾倉TYPEで使用された物である。




    日本海軍航空機主要武装


    型式
    口径(o)
    全長(o)
    重量(s)
    初速
    (m/秒)
    発射速度
    (発/分)
    弾丸重量(g)
    (弾薬包重量(g)
    給弾方式
    92式7.7o
    旋回改1
    7.7mm
    980o
    8.5s
    740/s
    600発/m
    11.2(25.5)g
    弾倉式(97発)
    97式7.7o固定
    7.7mm
    1,035o
    12.8s
    747/s
    1,000発/m
    11.2(25.5)g 
    ベルト給弾式
    97式7.7o
    固定3型改2
    7.7mm
    1,033o
    12.60s
    745/s
    900発/m
    11.2(25.5)g
    ベルト給弾式
    1式7.9o
    旋回1型
    7.9mm
    1,077o
    6.9s
    785/s
    1,000発/m
    12.7(26.3)g
    弾倉式(75発)
    2式13o
    旋回1型
    13mm
    1,170o
    17.40s
    750/s
    900発/m
    34.0(75)g
    ベルト給弾式
    3式13o
    固定1型
    13.2mm
    1,530o
    27.50s
    790/s
    800発/m
    52.0(118)g
    ベルト給弾式
    3式13o
    旋回1型
    13.2mm
    1,530o
    34.00s
    800/s
    800発/m
    52.0(118)g
    ベルト給弾式
    99式20o
    1号固定3型
    20mm
    1,331mm
    23.20s
    600/s
    535発/m
    123.5(192)g
    弾倉式
    99式20o
    1号固定4型
    20mm
    1,331o
    27.02s
    600/s
    550発/m
    123.5(192)g
    ベルト給弾式
    99式20o
    2号固定3型
    20mm
    1,890o
    33.50s
    750/s
    480発/m
    123.5(210)g
    弾倉式
    99式20o
    2号固定4型
    20mm
    1,890o
    37.57s
    750/s
    500発/m
    123.5(210)g
    ベルト給弾式
    99式20o
    5型 2号4型の初速改良型
    20mm
    1,890o
    37.57s
    760/s
    500発/m
    123.5(210)g
    ベルト給弾式
    99式20o
    1号旋回11型改2
    20mm
    1,653o
    30.00s
    600/s
    520発/m
    123.5(192)g
    弾倉式
    99式20o
    1号旋回4型
    20mm
    1,581o
    23.40s
    600/s
    520発/m
    123.5(192)g
    弾倉式
    18試20o固定一型
    20mm
    1,950o
    (40.00)s
    (900)/s
    (600)発/m
    123.5(270)g
    ガス式
    19/3試作完了
    ()は要求性能
    17試25o
    固定機銃1型
    25mm
    2,240o
    75s
    750/s
    450発/m
    250(480)g
    銃身退却式
    試製航空機
    用25o固定機銃
    25mm
    2,190o
    86.5s
    900/s
    400発/m
    250(700)g
    ガス圧式
    17試30o
    固定1型 甲
    30mm
    2,218mm
    80s
    750/s
    350発/m
    350(630)g
    ガス圧式
    17試30o
    固定1型 乙
    30mm
    2,092o
    66.00s
    760/s
    500
    350(660)g
    ガス圧式
    2式30o
    固定1型
    30mm
    2,086o
    50.90s
    710/s
    400発/m
    265.0(460)g
    弾倉式(42発)
    17試40o
    固定1型
    40mm
    2,360o
    180s
    (700)/s
    (200)発/m
    800(1,300)g
    銃身退却式
    19/9試作完了
    ()は要求性能







    99式20mm機銃の動画





    参考文献 
    光人社・刊 「編集・雑誌「丸」編集部編
    図解・軍用機シリーズ・五(零戦)
    発行者・株式会社 二見書房・刊
    紫電改びっくりデーター99の謎 渡辺真一著
    朝日ソノラマ・刊『零戦』堀越二郎・奥宮正武著
    光人社・刊『零戦の遺産』堀越二郎著・その他

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