『三輪車』のコードネームで呼ばれていたイギリスの二重スパイ、ダスコ・
ポポフは一九四一年(昭和一六)に入ると、急に忙しくなった。すでに火中に
ある欧州の動向に加えて、極東に新しい台風が発生したからである。ただし
彼の場合には、イギリスの命で積極的に動くことよりも、当時はドイツの指
令で動いていたから、その過程で得た情報を、イギリスや他の同盟国に伝え
るだけのことだった。
それでも夏ごろになると、彼は、日本海軍のハワイ作
戦について十分すぎるほどの、確度の高い情報を手にしていた。このときイ
ギリスにいたポポフは、ドイツの指令でアメリカに渡る途中、リスボンで新
しい命令書を受け取った。彼の本務は米国内にドイツのスパイ網を構築する
ことだったが、新しい指令書には、米国での仕事が一段落したらホノルルに
飛び、オアフ島の弾薬庫、飛行場港湾施設、湾内水深、碇泊地点などの細密
な調査を指示されていた。
彼はリスボンの英情報機関に連絡した上でニュー
ヨークに飛び、FBIのエドガー・フーバーに会ったが、フーバーはあたまから
彼を相手にしなかった。『三輪車』というコードネームからして"セックス
・ゲーム"じみていて、つまり、彼の情報は疑わしいというのである。一方、
ロンドンにとってリスボンからもたらされたこの情報は、ある意味で歓迎すべ
きものだった。日本海軍の標的がはっきりハワイを示している以上、少なくと
も台風の中心は、英国最大の関心事であるマレー半島をそれる可能性が生じた
ことになる。
日本海軍の主力が米国を正面の敵に選んだことで、イギリスの極
東毎軍の戦略は、予期される敵の兵員輸送船を沈め上陸を阻止することに軽
減されることになる。確かにこの判断はずさんなものではなかった。当時、
日本の海軍はハワイを主戦場に選び、陸軍がマレー占領に主眼を置いていた
ことは確かである。現に、参謀本部は昭和一六年(一九四一)三月に九州で所
定の参謀要員による参謀旅行演習を実施し、主として上陸作戦訓練と、同月
下句から四月上旬にかけて、大本営の統裁(とうさい)下に南方作
戦を想定した大規模な陸海軍合同の演習が行なわれた。
揚子江
(ようすこう)河口の舟山列島から出発した上陸作戦軍が、航空部隊の護衛
で敵海空軍の攻撃を排除しつつ、東シナ海を航行し、北九州に上陸して
佐世保要塞を攻略するというのである。これは明らかに、マレー上陸作戦
とそれに引き続くシンガポール攻略を想定したもので、実兵を用いた点で画期
的なものだった。
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