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日章旗星条旗






南太平洋海戦

サンタクルーズの戦い




 米空母・ホーネット

日本軍の猛火を浴びる米空母・ホーネット


  南雲部隊の猛攻下にある米第17任務部隊の空母ホーネット。艦尾から黒煙が噴出し、前部飛行甲板からも黒煙が上がっている。 顔面中央で被弾しつつもなお急降下を続ける九九式艦上爆撃機は瑞鶴艦爆隊長坂本明大尉の乗機と伝えられる。坂本機は ホーネットの煙突に突入したのち、飛行甲板に激突炎上した。海面には機銃掃射による水柱が林立する。苛酷な航空海戦の様相を 今日に伝える貴重な写真である。




昭和一七年一〇月二六日、日米機動部隊は四度目の激突をする。




新鋭空母ワスプを喪失


 一九四二年(昭和一七)八月、.アメリカ太平洋艦隊では、三隻の空母が 航行可能だった。エンタープライズ、サラトガ、そしてワスプである。これらはこの年の後 半において、アメリカ海軍の空母兵力を代表するものだった。このうちのエンタープライズ が先の第二次ソロモン海戦で爆撃を受け、修理のためにソロモン諸島あとにしてからは、た だ二隻の空母広い南太平洋に取り残されることになった。しかも日本の潜水艦は、あたかも それらの空母がどこにいるか知っているかのようだった。八月三一日、サラトガが雷撃を受 けた。搭載していたほとんどの飛行機をエスピリツサントに退避させたのち、サラトガは補修 のため真珠湾に向かわねばならなかった。

 この艦は一二月まで南太平洋 海域には戻れない運命にあった。しかしサラトガと交替する形で、ホーネットがソロモン諸島 に復帰していた。依然として、アメリカ海軍は二隻の空母を保持することができた。だが、そ れは長くは続かなかった。九月一五日の木曜日、ワスプホーネット新鋭戦艦ノースカロラ イナその他十数隻の護衛艦とともに、サンクリストバル島の南東一五〇浬付近を航行していた 。このとき対潜水艦哨戒はワスプの番だった。一四二〇にワスプは風に向かって艦首を立てた 。哨戒のSBDドーントレスを発艦させるためだった。

 そしてSBDが離艦し、艦長のF・P・シャー マン大佐が西よりに艦を戻したとき、見張りが魚雷の接近を大声で叫んだ。しかしそれらは、 すでにワスプの左舷近くまで迫っていた。これらの魚雷は、対潜警戒網を潜(くぐ)って忍び 寄った日本海軍の伊号第十九潜水艦から発射された四本だった。シャーマンは遅まきながら回 避運動を始めた。しかし彼の懸命な努力にもかかわらず、悲運を免(まぬが)れることはでき なかった。すぐに三本の魚雷がワスプに命中した。飛行甲板にあった飛行機や、その下の格納 庫甲板に収容された状態の飛行機は、まるで玩具(おもちゃ)のように放り出され、使いもの にならぬほど目茶めちゃになった。主たるダメージは、もっと大きな悲劇をもたらした。

 それ はワスプの吃水線(きっすいせん)下で起こった。命中した三本はそこに集中していたのであ る。十数名のパイロットが仮眠中のベッドで死んだ。初めはわりと楽観的に、被害を修復でき るという報告がなされていたにもかかわらず、被害は広が徐々(じょじょ)にワスプの傷は助 けられる範囲を超えていることが明らかになった。この就役後わずか二年半にしかならない航 空母艦は、その夜二一時に二〇〇人の乗組員と、四六機の飛行機とともに沈んでいった。だが 二十数機の飛行機はホーネットに一時収容され、これらの飛行機は結果的には ガダルカナル島(ガダルカナル島は餓島と呼ばれ米軍とのこの島の争奪戦に壮絶な戦いが行われた。その後、補給路も絶たれ 飢餓で多くの兵士を失い撤退することとなった。)の基地に配属された。



米空母・エンタープライズ

空母・エンタープライズ


 空母・エンタープライズからSBDドーントレス急降下爆撃機が発艦する。1942年10月26日早朝、エンタープライズは 計1機のSBDを索敵任務に発進させた。


ヒット・ザ・ターゲット


 ホーネットもまた、すんでのところで二度魚雷攻撃を免れていた。一度は味方のドーン トレスが魚雷の進路に爆雷を投下してことなきを得、エンタープライズが復帰するまで ソロモン海域に残ることができたのである。一〇月一六日に真珠湾を出航したときに、 エンタープライズは第一〇空母航空群を乗せていた。これはミッドウェー海戦以来、エ ンタープライズに搭載されている航空部隊だった。それらの各々の飛行隊はそれぞれ新 しいメンバーになっていたけれど、多くのパイロットは先の海戦から戦場を経験した者 たちだった。ストックトン・B・ストロング大尉とハロルド・R・バーネット中尉は東部 ソロモン海域でVS5飛行隊に所属していたベテランだった。

 彼らはいま、ジェームズ・R ・リー少佐が指揮するVS10飛行隊に所属していた。VB10飛行隊の指揮官はジェームズ・A ・トーマス少佐だった。ジミー・フラッタリー中佐の指揮するVFlO飛行隊にも二人のドー ントレス機パイロットが含まれていた。珊瑚海海戦で勇名を轟かせたジョン・レプラーと スタンレー・ベジャタスである。こうして一〇月二三日にエンタープライズがホーネット のもとに合流したとき、この二隻の航空母艦は、経験を積み練度の高い搭乗員でいっぱい だった。ホーネットの二個のドーントレス部隊も、ミッドウェー以来の歴戦の強者だった 。そのひとつVB8飛行隊はジェームズ・E・ヴォース大尉の指揮下にあった。

 彼もまたミッ ドウェーを経験したベテランだった。日本軍が未完に終わった八月末のガダルカナル方面 における海戦ののち、再編成されたかどうかについては知られていなかった。ただ次に現 れるのは、より攻撃力を集中した機動部隊だろうと思われていた。そして実際に二隻の正 規空母(翔鶴、瑞鶴)が軽母の隼鷹(じゅんよう)、瑞鳳(ずいほう)とペアを組んで、こ の海域に集結していた。さらに一〇隻の巡洋艦と約三〇隻の駆逐艦が配置され、その前衛 には戦艦と巡洋艦がついていた。日本の陸軍と海軍は、これまでほとんど一つのチームと して作戦をするということはなかった。

 しかし今回は一つの作戦単位として働く努力をし ていた。一〇月二二日までには、ヘンダーソン飛行場は日本陸軍の手に落ちる運命になっ ていた。この間に、海軍はその海域に入り込もうとするどんな敵も容赦(ようしゃ)なく 片づけていた。アメリカ海兵隊も勇敢に、何度となく日本軍陸兵の攻撃をヘンダーソン飛 行場の周囲から撃退してきたが、一〇月二五日の未明、非常に有能な日本陸軍の部隊がそ の防御ラインを突破して、日の丸を掲げたことが報告された。それはなぐも南雲提督が待 ち望んでいたサインだった。

 さっそく水上部隊は南に向けて行動を起こした。同日昼ごろ 進発したカタリナ飛行艇が、二隻の異様な形をした空母が南西の方向に高遠で航行し ているのを発見した。"ビッグE"ことエンタープライズは、すぐさま四八機の飛行機を投 入して、西から北に二〇〇浬の索敵圏を設けたが、何も発見することはできなかった。 実のところ日本軍は、まだはるか北方に位置していたのである。 この索敵作戦は、これまででもっとも大がかりなものの一つだったが、その損害もまた、 それに比例するものだった。一機のF4F戦闘機が海中に突っ込み、残りの飛行機はとも かくもエンタープライズまでたどり着いたものの、あたりはもうまっ暗闇(くらやみ) になっていた。さらに、ほとんどの機が燃料を使い果たしていた。

 三機のドーントレス と三機のTBFアヴェンジャー雷撃機が着艦行動に入ったとき、燃料が切れて着水を余儀( よぎ)なくされた。幸運にも搭乗員はすべて駆逐艦に救助されたが、これは決して軽微 (けいび)な損害ではない。彼らが真珠湾を出てまだ九日目のことだった。翌日、日の 出とともに敵の空母部隊がやってくるであろうことは、疑う余地もなかった。その夜、 エンタープライズ飛行長であるジョン・クロムリン中佐がマイクで訓示した。彼は搭乗 員たちが「長きにわたって訓練してきたことを」と述べ、そしていまや海兵隊は海岸線 に追いつめられており、その運命は諸君の双肩(そうけん)にかかっている、と沈痛に 結んだ。彼の言わんとすることは、部下たちが、与えられた任務を忠実に遂行せよ、と いうことだった。それは三つの単語に要約することができた。"ヒット・ザ・ターゲット"であった。
                                                               
エンタープライズ隊の索敵行動
索敵方位 機番号 パイロット 行動
235-250度 B1 ウェークハム中尉 敵を見ず
B12ステイーヴンス少尉
250-266度 B6ビュエル中尉 敵を見ず
B11 フーガーワーフ少尉
266-282度 B13ウェルチ大尉 0717、前衛部隊を発見
B21 マクグロウ中尉
282-298度 S4バーネット中尉 重巡筑摩を攻撃
バーネット中尉は艦攻×1撃墜
S5 ミラー中尉
298-314度 S1リー少佐 10750、前衛部隊を発見。
零戦×3撃墜
S8ジョンソン中尉
314-330度 S18ワード中尉 空母攻撃を実施。
後部鏡座が零戦×1撃墜
S7カーモディ中尉
330-345度 S13ストロング大尉 0740、前衛部隊に触接。
0830、瑞鳳を攻撃(命中弾2発)
S2 アーヴイン少尉
345-360度 S10ラムゼイ中尉 0740、敵を見ず
S6ブロシュ中尉
*機種はすべてSBDドーントレス




































一六機の索敵隊


 クロムリンの"ヒット・ザ・ターゲット"を聞いた翌一〇月二六日の朝、 一六機のSBDドーントレスがエンタープライズの飛行甲板を飛び立った。それはミッドウェ ーを除いて、もっとも苛烈(かれつ)をきわめた一九四二年の空母同士の海戦の開始を告 げるものとなった。夜明け直後のことだった。ドーントレス隊の任務は南西から西を経由 して北方まで、二〇〇浬におよぶ扇形(おうぎがた)海面の索敵だった。VB1O飛行隊は六 機でもっとも南側の海域を担当していた。

 通常、アメリカ軍の索敵活動は各機が一〇度ず つ担当する習わしになっていたが、このときはとくに一五度ずつを受け持つことになって いた。さらにこの索敵部隊は、一〇機のドーントレスを北方の捜索に派遺していた。太陽 は〇五三〇ごろ昇り始めた。それはアメリカ機動部隊にとって、この上ない天候であるこ とを啓示していた。アメリカ艦隊はサンタクルーズ諸島の北方約一二〇浬(約222キロ)に位置していた。 弱い南西の風が六〜一〇ノットで吹いており、この風は日本軍にとってアドバンテージと なる要素だった。

 なぜならば、彼らはアメリカ軍のほうへ進んでおり、飛行機を発進させ るのに、わざわざ艦首を風に立てる必要がなかったからである。視界惚上下左右すこぶる 良好だった。ただ散らばった積(せき)雲(うん)が一〇〇〇〜一五〇〇フィート付近に 転々と浮かんでいた。太陽に輝く雲は早朝の空の半分を覆っていたが、それは索敵機のパ イロットが隠れ蓑(みの)にするにはあまりにも薄いものだった。最初に敵と遭遇する幸運を得た のは、VB1O飛行隊のチームだった。それはV・W・ウェル大尉とB・A・マクグロウ中尉の二機で、 二六六度から二八二度の受け持ち範囲においてだった。彼らが日本軍の出現に気づいたのは、 発進地点から八五浬進出したところだった。

 一機の九七式艦上攻撃機が、明らかに自分たちと 同じ目的で飛行しており、右三浬付近を逆方向へ飛んでいった。ウェルチとマクグロウは、明 らかな敵の主力を発見するまでに、さらに二〇分飛ばねばならなかった。この二機のドーント レスは高度二〇〇〇フィートまで上昇して、雲の陰(かげ)を利用することにした。正解だっ た。彼らは一〇浬ほど飛行したところで、日本艦隊の反対側に出た。ウェルチはスコールで視 界がなくなった数分間を除いて、一心に目を凝(こ)らし続けた。

 しかし空母を見つけること はできなかった。事実その海域に日本の空母はいなかったのである。しかし、ウェルチ大尉の 報告は非常に正確なものだった。彼の電信員は〇七三〇に発信した。「戦艦二、巡洋艦一、駆 逐艦七。南緯八度一〇分、東経一六三度五五分。針路北、速力二〇ノット」
                                 
南太平洋海戦の米空母航空部隊
機種 部隊名 装備機×機数 部隊名 装備機×機数
戦闘機 VF1O F4Fワイルドキャット×34
WF72 F4Fワイルドキャット×36
急降下爆撃機 VB10SBDドーントレス×18 VB8SBDドーントレス×18
索敵機 VS1OSBDドーントレス×18 VS8SBDドーントレス×18
雷撃機 VT1OTBFアヴェンジャー×12 WT6TBFアヴェンジャー×15
空母 エンタープライズホーネット


*VF=戦闘飛行隊、VB=爆撃飛行隊、VS=索敵飛行隊、VT=雷撃飛行隊







機動部隊本隊を発見


 このメッセージはエンタープライズの通信室で受信された。より正確には日本軍は戦艦二、巡洋 艦四、駆逐艦七の編成で、報告位置からたぶん二五浬ほど南東にいることがわかった。それとは 別に、エンタープライズの索敵隊は、敵空母を発見するためにまだ空中で頑張っていた。指揮官 のリー少佐自身がその責務を負っていた。彼自身、二九八度から三一四度の海域を担当していた 。そして〇七五〇、リーは空母を発見した。その位置の確認は大胆かつ慎重に行なわれた。彼は 日本の機動部隊から一五浬の範囲にまで近づき、そしてリーはフルスロットルで上昇し、彼の報 告が十分にエンタープライズで受信できるような高度を取った。彼はまた攻撃する際に、最良の ポジションを確保しようとも思っていた。

 そして彼の電信員I・A。サンダース兵曹は四度決定 的な情報を発信した。「空母二、随伴(ずいはん)部隊、南緯七度〇五分、東経一六三度三八分 にあり」リーの航法技量はきわめて高く、彼の報告はほとんど一〇浬も外(はず)れていなかっ た。ドーントレスの出現が彼らに気づかれずにすむわけがなかった。日本艦隊は全速力で西方に 向かい、厚い雲層(うんそう)の下に逃げ込もうとした。リーと彼の僚機ジョンソン中尉はその とき、はっきりと翔鶴と瑞鶴を捉えていた。ほとんど同時に、小さな瑞鳳が視界に現れたが、四 番目の空母である隼鷹はそこにはいなかった。

 ○八〇五までにリーとジョンソンは三〇〇〇フィ ートまで上昇した。このとき七機の零戦が右側から同じ高度で現れた。彼らは敏捷(びんしょう )にドーントレスの前方に廻(まわ)りこみ、正面から攻撃をしかけてきた。それは全く典型的 にワイルドで無謀な行動で、日本機の情況をさらに悪くした。リーが言うところによると、「私 の飛行機の風防が、小さな弾丸で撃たれたときから、展開が早くなった。私が五〇口径機銃をジ ャップの指揮官にぶっ放すと、そいつは爆発して下に落ちていった」ジョンソン中尉のほうは、 彼の指揮官より、もう一つ上を行った。彼は二機の零戦を叩き落とすことに成功した。



瑞鳳に命中弾二発


 南雲の主力部隊である三隻の空母の北東方向にいたSBD”セイ13"とセイル2"の電信員は ウェルチの〇七三〇のレポートを受信していた。"セイル13"の後席員のギャローはパイロット にそれを知らせた。そこでバーニー・ストロング大尉はただちにそれに応えて、コースの選定 にとりかかった。ストロングとチャールズ・アーヴィン少尉は、彼らの索敵線の先端に到達し ていた。ストロングらはこのとき、戦艦の発見位置から約一五〇浬離れた位置にいた。燃料の 残量をたしかめるまでもなく、当然帰還せねばならない時刻になっていた。彼はアーヴィンを 促(うなが)して南西方向に機首を転じ、上昇に移った。彼らが任務付与された索敵エリアを 折り返してから約三〇分後、リー少佐の空母発見報を耳にすることになった。

 ほとんどの急降 下爆撃機のパイロットは、戦艦よりも空母を見つけたいと思っている。ストロングはとくに、 彼が第二次ソロモン海戦に参加できなかったので、それを埋め合わせようという思い入れが強 かった。リーの総合報告による敵空母の位置は、ストロングから一〇〇浬と離れていなかった 。そこで二機のドーントレスは思い切りよく転針し、南雲部隊主力の航跡を追うことになった。 このような場合、風力と風向を読んで、低い雲に覆われた海上に目標の所在を探るのである。 それにしても、リーの報告は、恐ろしいまでに正確だった。

 そして二〇分後、ストロングは自 分の航法が間違っていないことを知った。その証拠は、雲の下に二隻の飛行甲板を持った艦を 見たときに裏づけられた。翔鶴と瑞鳳だった。そして三隻目の瑞鶴は、まだ低い雲の下に隠れ ていた。アーヴィンもまた、その視界に目標を捉えていた。○八三〇バーニー・ストロングは僚 機のチャールズ・アーヴインに向かって、へルメットの上を仰く仕草をした。それは「やった ぜ」という合図だった。ストロングはダイヤモンド形をしたフラップ・レバーを操作して減速 し、二隻の空母に急降下していった。アーヴィンもこれに続いた。二機の間には、かなりの間 隔があった。それはドーントレスが行なう爆撃の完璧な手本のようなものだった。

 彼らは一万 三〇〇〇フィートかあら急降下中、敵の妨害に全く遭うことはなかった。対空砲火もまた同様 だった。零戦は現れない。そしていま、ストロングとアーヴィンのやらねばならないことは、 ジョン・クロムリンの言葉にしたがって、彼らの目標に集中することだった。"ヒット・ザ・ ターゲット"である。ストロングはとりあえず、自分の目標を翔鶴級の空母に絞った。からそ して目標の飛行甲板が空であることに気づいた。ストロングは多少混乱していたようだ。彼が 翔鶴だと思っていた艦は、実は一万二〇〇〇トンの瑞鳳だった。珊瑚海海戦で沈んだ祥鳳(し ょうほう)の姉妹艦である。ストロングは一五〇〇フィートのところで完金に雲のなかから突 さ抜けた。そして何も遮(さえぎ)るもののない視界の中心に空母を捉えた。堅い木で造られ た、キラキラ光る飛行甲板が、急速に視界に拡がった。

 彼は自分の目標をもう一度確認し、二 重ハンドルによる爆弾の投下桿を引いた。ついでフラップを引っ込め、彼の機を海面すれすれ で引き起こし、スロットルをいっぱいに押した。アーヴィンは彼の後方にしたがっていた。そ して二発の五〇〇ポンド爆弾が、一〇〇分の一秒の微差(びさ)で瑞鳳の飛行甲板後部を引き 裂いていた。二発の爆弾はこの軽空母を航行不能に陥らせた。ただし瑞鳳の飛行機はすでに飛 び立ったあとであり、それらの機は、のちに別の空母に収容されることになった。



小型空母・瑞鳳

小型空母・瑞鳳


 南太平洋海戦で行動中の空母瑞鳳小型空母瑞鳳はこの 海戦では戦闘機と艦攻を少数搭載し、主として上空直衛を担当した。







零戦の追跡をふり切る


 ストロングとアーヴィンの目的は、一〇〇パーセント達成されたといってよい。すると全く唐突 (とうとつ)に、護衛の部隊が弾幕を張り始めた。それは彼らの艦隊をスクリーンで覆うように 打ち上げられた。これと前後して攻撃に出ていた日本機が、留守に忍びこんだドーントレスが飛 び去ったあとで帰ってきた。ストロングらはいち早くその射程から離脱していたが、零戦はそう 簡単には追撃をやめてはくれなかった。ストロングとアーヴィンがこの危機を脱する唯一のチャ ンスは、チームワークを密にして、操縦技術をつくし、さらに彼らが装備している機銃をとびき り正確に撃つこと以外になかった。

 二機のドーントレスは前衛、後衛の位置を互いに交代しなが ら共同戦線を張った。一方では、ギャローとウィリアムズの二人の射手もコンビネーションを取 りながら旋回機銃を発射し、零戦を落としていった。一人 の零戦パイロットは距離感を間違えていた。彼の発射した弾丸はとんでもない方向に飛ん でいった。C・H・ギャロー一等武器員は、その零戦を攻撃するために三〇口径連装旋回機 銃を的確に射撃するのにほんの数秒しか必要としなかった。彼は零戦の下面を切断するよ うに機銃を発射した。目標は火を吹きながら、海上に落ちていった。アーヴィン機の射手 E・P・ウイリアムズも零戦一機を撃墜した。

 しかし零戦もまた攻撃に成功した。アーヴィ ンの機は尾部にひどく被弾し、右側の主翼燃料タンクに大きな穴をあけてしまった。よし んば彼が零戦の追尾を振りほどいたとしても、燃料が最後までもつという保証は何もなか った。そこでストロングは、爆弾二発を空母に命中させたことをエンタープライズに無線 で伝えた。追撃を受けてから四五浬の地点で二機のドーントレスは、やっとの思いで雲に 出合った。彼らは先を争ってそのなかに飛び込み、次に輝く青空の下に出てきたときには 、幸運にも敵の姿は消えていた。

 一〇三〇までに、ストロングとアーヴィンは無事エンター プライズに着艦した。両機とも最初の着艦に失敗していたら、もうやりなおす燃料を残して いなかった。一六機すべての索敵機はエンタープライズに戻ってきたが、五機は被害を受け ていた。そして四つのチームはなんらかの形で、敵と遭遇することができた。彼らは零戦七 機九七式艦攻一機を落とし、さらに一隻の軽空母を無力化した。だが戦闘は、まだ始まった ばかりなのだ。三回にわたるアメリカ軍の攻撃の最初は午前中に行なわれた。

 それは二九機 のホーネット搭載機からなるもので、これには一五機のドーントレスが参加していた。六機 のアヴェンジャーと八機のF4Fワイルドキャットをともなうホーネット部隊は、VS8飛行隊の 新任の指揮官ガス・ウイドヘルム少佐に率いられていた。そして第二波の攻撃にはエンター プライズの全飛行機が含まれてこれらの攻撃部隊は、一〇までに発艦できるようになっていた。
                     
南太平洋海戦の日米索敵状況
日本側 米側(エンタープライズ隊)
区分 索敵方位 機種×機数
区分 索敵方位機種×機数
前衛 130-230度水偵×7 艦爆隊235-282度 SBD×6
本隊 50-230度艦攻×13 索敵隊282-360度SBD×10 SBD×10

*各機の索敵幅は日本側が約14.6度、米側は15度







三波七三機の攻撃隊


 ほとんど同時に、エンタープライズの攻撃部隊は発艦した。二五機のホーネット隊がこれに 続いた。それはウォルト・ローディ中佐が指揮するグループだった。これには九機のアヴ ェンジャーが、VB8飛行隊のSBD九機とF4F七機とともに参加していた。計七三機の三波から なる攻撃隊は、騒然とした空気のなかで翼をつらねて急速発進した。日本軍がすでにこちら に向かっているとするなら、これは非常にかけ幸運な賭(かけ)のようなものだった。なぜ ならば、爆撃を受ける前に甲板を至急カラにする必要があったからである。

 目標まで二〇〇 浬もあった。そして彼らが一つの編隊を組むために、組織的な訓練をする時間も燃料もなか った。そこで三つのグループは、各自ばらばらに北西の戦場に向かった。彼らは燃料を節約 するために、ゆっくり上昇した。五〇〇〇フィートの高度を六〇浬いったところで、ガス・ ウイドヘルムの隊は、いかに自分たちの発艦が際(きわ)どいものであったかを知った。最 初の日本軍の攻撃隊が、自分たちの母艦に向かって飛んで行くのとすれ違ったからである。 彼らの行く先はホーネットとエンタープライズに違いなかった。

 だが、どのグループもそれ に対して攻撃的な行動はとらなかった。そんなことをする時間も燃料もなかったからである。 そこから南西数浬の位置で、日本軍は少数のエンタープライズの搭載機を捕まえた。彼らは このグループを見逃す手はないと思ったようだった。九機の零戦が引き返してきて、この隊 を奇襲した。そして三機のアヴェンジャヤーと三機のワイルドキャットを撃墜した。ほかにF 4Fとアヴェンジャーが被害を受けて、零戦三機が撃ち落とされた。

 一方、エンタープライズ の攻撃隊はアヴェンジャーが四機ワイルドキャットが四機ドーントレスが三機と、ほとんど 半減してしまった。発艦して一五〇浬のところで、一〇二五までにガス・ウイドヘルムは日 本艦隊を右側に捉えることができた。それは二隻の巡洋艦と多数の駆逐艦だった。さらに約 二〇浬後方に、二隻の戦艦と七隻の駆逐艦が左側にあるのが見えた。同時に零戦九機も、ホ ーネットの一群に気づいていた。彼らはワイルドキャット四機に攻撃を集中し、ドーントレ スは何事もなく危機をすり抜けて飛行を続けた。

 そしてグループの一人が無線電話で、「ガ ス、ここには空母はいないよ。帰ろう」というのをキャッチした。だが、ウイドヘルムはそ れについては疑問を持った。彼はミッドウェーで、その高度ではほとんど艦船を発見できな かったことを思い出していた。彼は本能的な判断にしたがって、もう少し前に出てみようと思 った。そして五分後に、空母のグループを目にしたのである。それは二隻の大型空母 と一隻の軽空母、四隻の駆逐艦だった。そのうち一隻の空母は被害を受けているよう で、明らかに煙を吐いていた。ウイドヘルムはそれらに向かって直進した。それは五 月八日の珊瑚海海戦を、ほうふつとさせるものだった。

 瑞鶴は攻撃を避けてスコール のなかに紛(まぎ)れ込み、ここでも翔鶴だけが視界のいい海上に取り残されていた 。いまやウイドヘルムは翔鶴を自分たちの目標に選んだ。彼らのほかに、六機のアヴ ェンジャー雷撃隊が高度八○○フィートで待機していたが、結局この隊は目標を捕捉 することに失敗した。つまり、ウイドヘルムの一五機のドーントレスだけで、すべて の仕事をやらねばならないということでもあった。



ドーントレスは「豪胆」なり


 二隻の空母からの対空砲火が、ドーントレスを瞬時に包んだ。同時に、さらに多くの零 戦が姿を見せた。これが高度一万二〇〇〇フィートでの二五分間の戦闘の序幕だった。 最初の犠牲者はVB8飛行隊のグラント中尉だった。続いてフイッシャー中尉がやられた 。フィッシャーは海上に着水したが、救助されることはなかった。ホワイト中尉機も大 きな被害を受け、ほとんど操縦不能の状態だった。彼のエルロン機は左の補助翼を吹き 飛ばされており、彼自身片方の肩と腕に重傷を負っていた。だがホワイトは、ともかく エンタープライズまで自分の機を持ち帰った。

 もう一機のドーントレスは、ウイドヘル ムの強引な指揮にしたがい、目標に向かって攻撃をしかけた。このときウイドヘルムの 飛行機は煙を吐いていた。彼の機はエンジン・オイルを失い、オーバーヒートを起こし たのだ。零戦は傷ついた敵を執拗(しつよう)に攻撃し続けたが、ウイドヘルムの執念 は、彼らをはるかに越えていた。いまや、目の前数浬に見えている細長い飛行甲板に爆 弾を落とすまでもってくれ、という執念が彼の飛行機を操縦していた。しかし、それは 空(むな)しいことだった。エンジンが止まりプロペラも止まった。ウイドヘルムは彼 の爆弾を投下し、編隊から離れていった。

 海面に向けて長い滑空をしながら、指揮権を ジェームズ・E・ヴォース大尉に委譲した。そしてウイドヘルムは着水し、彼は波間に うまくドーントレスを浮かべた。ヴォースの指揮するドーントレスの接近に、零戦の編 隊はいよいよ躍起(やっき)になってこれを落とそうとしていた。しかしウイドヘルム の飛行機が、彼らの損害の最後のもいくにんのだった。たとえ幾人(いくにん)かの犠 牲者を出したとはいえ、ドーントレスはその名のようにドーントレス(豪胆)だった。機 銃での交戦は長くは続かなかった。また続けることはできなかった。

 ヴォースは残る一一 機を率いて翔鶴の上空に殺到した。ほとんどの者はダメージを受けていたが、向こう二〇 か月のうち最後になる日本軍機動部隊への攻撃に奮(ふる)い立っていた。一段と熾烈( しれつ)で正確な対空砲火と、数機の零戦がドーントレスの急降下のあとを追ったにもか かわらず、ヴォースとその部下たちはそれに阻止されることはなかった。次つぎに、彼ら は翔鶴の上空でダイヴをくり返した。その間、爆撃照準器のなかで、空母は巨大な体をく ねらせて回避運動を続けていた。

 誰もが、正確には何発の爆弾が翔鶴に命中したのかわからなかった。日本軍さえもそれは わからなかった。彼らは三発から六発と述べ、ヴォースは少なくとも三発といい、そして 近くの海に浮かんでむせいたウイドヘルムは、歓喜に咽(むせ)びながら、六発の命中を 確認していた。彼と彼のクルーは二日後に、PBYカタリナ飛行艇によって救助された。



空母・ホーネット

空母・ホーネット


 日本機の猛攻を受けたホーネットはついに行動不能に陥った。 駆逐艦が左舷に接舷して救援活動にあたっているが、 それも効を奏さなかった。




戦術的敗北にも光明


 一一機のドーントレスが母艦にたどりついたとき、危険な喜劇が待っていた。猛烈な味方 の対空砲火の出迎えを受けたのである。ホーネットは手ひどく叩かれたあとだったので、 機銃員たちが血迷っていたのだ。だが幸運なことに、彼らは全機無事に着艦することがで きた。エンタープライズもまた、ホーネットと同様に敵の攻撃を受けていた。戻ってきた ドーントレスが着艦姿勢に入ったとき、彼らはそれが簡単なことでないことに気づいた。

 エンタープライズの飛行甲板は前方で黒煙を上げており、艦尾の近くは爆弾でめくれ、さ らに悪いことには飛行甲板中央のエレベーターが途中で停止していて、四角の黒い穴が甲 板のまん中に開いているという恐ろしい光景だった。艦尾から三〇〇フィートのところだ った。ドーントレスはそれぞれ"ビッグE"の航跡をたどり、最後部のワイヤーにフックを かける努力をし、そして成功した。二隻の米空母は、ともに傷ついていた。一隻の傷はと くに重かった。しかし翔鶴もまた混乱した状況のなかにあった。

 ホーネット機の爆撃 で、カンズメニシンの蓋(ふた)を開けたような形に、飛行甲板がめくれ上がっていたのである。 同艦はそれから九ヵ月の間、戦線を離れねばならなかった。それにもかかわらず翔鶴が致 命てつ傷を免れたのは、赤城や加賀の轍(てつ)を踏むことなく、甲板を空にしていたか らである。流石にミッドウェーのような馬鹿なまねはしなかったようである。しかしこの戦闘に関するかぎり、翔鶴の存在は意味をなくしたことは疑う余地 のないことだった。一方、ホーネットの第二波攻撃隊が南雲の前衛部隊の戦艦や巡洋艦を 空襲して一二二五帰遠したとき、彼らが見たのは五発の爆弾と二本の魚雷を受けて死んだよ うに浮いているホーネットの姿だった。昭和一七年、日本本土をドゥーリットルとともに初空襲したときの元気はもうなくなっていた。

 彼らは一三三〇、エンタープライズに着艦した。 サンタクルーズ海戦は戦術的にはアメリカ軍の敗戦だった。甚大(じんだい)な被害を受 けたホーネットは放棄するように命令され、日本軍の進路のまっただ中に捨て去られた。 やがて彼女が駆逐艦の魚雷で処分されたのは、就役してちょうど三六五日目のことだった 。しかし戦略的な観点からすれば、日本空母のガダルカナルに対する脅威は、永久にこの 海戦で終わりを告げたのである。南雲提督はミッドウェーの雪辱(せつじょく)を果たし たとはいえ、ミッドウェーの被害はやはりこれだけの戦いをしても償われるものではないであろう。 四隻の空母の喪失から日本は坂道を下るように敗戦への道をたどったのであるから。そしてもうこの勝利とは 関係なくすでに日本海軍の失速はすでに始まっていたのである。



 

(更新/2006/09/29)  秋の風立ちし日  Homepage Owner  kanno





主要参考文献 
学習研究社(歴史群像・太平洋戦史シリーズ第6巻)(死闘ガダルカナル)
ドキュメント・ガ島攻防戦・南太平洋海戦・甲斐克彦・著


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