大東亜戦争末期、陸軍・キ-61・三式戦「飛燕」は本来の安定した稼動が出来ず、液冷式の[D4Y2]ドイツ/ダイムラーベンツの液冷V-12倒立型エンジン
DB601Aをライセンス生産した熱田二一型のトラブルも続出したため、このエンジンを諦めて三菱四式ハ−112−II型と換装することで本来の性能を発揮した。
熱田型の名誉のために申し上げますが、ベストの時には素晴らしい性能を引き出したという。本土防衛の任についてB−29空襲から、帝都東京やその他の
都市の迎撃防衛に当たった。
新鋭戦闘機ではないのだが、飛燕の機体を改造して空冷エンジンを搭載した迎撃機で、ベース機・三式戦「飛燕」と同じ風防後方部がファストバック型の
川崎 五式戦闘機・「キ-100-T」と呼ばれた、五式戦闘機 I 型「甲」と風防改良型の川崎 五式戦闘機・「キ-100-U」I 型乙・水滴型風防を装備した機体があった。
この五式戦に搭載されたエンジンは、陸軍名は「三菱四式ハ−112−II型、(離昇出力1,500馬力)」呼称され、海軍名は「三菱金星六二型」と呼ばれ、
後に試作の零戦54/64型にも使用されたが、試作中に終戦となった。陸軍ではキ-84「疾風」に陸軍名・中島「ハ-四五」、海軍では紫電(11型)・紫電改(21型)
に使用された海軍名、中島NK9K「誉」エンジンがあったが、「ベースエンジンの「栄エンジン」の多気筒型がトラブルのため稼働率が低下していたなかで、
400馬力ほど出力は小さいが、信頼の措けるエンジンであったようである。
日本軍の後半期の名戦闘機といって良いほどの戦闘機であったのではないかと思われる。
大東亜決戦機と呼ばれた、中島飛行機の四式戦、キ-84「疾風」も、同一エンジンを搭載する海軍の川西航空機の紫電改(21型)も
エンジン好調時は類(たぐい)まれなる性能を引き出したが、エンジントラブルが多く稼働率が低かった。
そのため五式戦が大いに活躍することとなったのである。
上記の写真は、川崎 五式戦闘機のプロペラと、破損したタイヤである。このパーツ類は陸軍飛行18戦隊の平馬軍曹の墜落した機体を
水田に落ちた機体から回収したものである。この五式戦闘機は日本には1 機も現存せず、世界を見渡しても英国のコスフォード空軍基地
航空宇宙博物館(RAF Cosford)
に 1機しか現存していないので、この靖国神社、遊就館に展示されているメカニカル過給機のインペラは非常に貴重なものである。
20年4月7日のこの日、第10飛行師団隷下飛行第18戦隊所属の平馬康雄曹長、熊谷陸軍飛行学校を昭和17年の卒業(少飛9期)
は来襲した敵B-29約爆撃機約90機とP-51、30機の編隊に単機、平馬曹長は五式戦を駆って、これに迎撃戦闘を再三に亘り攻撃を敢行したのであった。しかし、善戦むなしく再三の攻撃にも多勢に無勢で
力尽き、埼玉縣南埼玉郡新方村上空において集中砲火を浴び、愛機五式戦とともにとともに同村大字大吉(現 埼玉県越谷市東大沢3丁目地内)
の水田に激突泥中深く埋没したのであった。水田に墜落後、永らく放置されていたが、昭和47年2月に関係市当局のご理解ご協力のもと
陸上自衛隊の全面的支援を得て、機体が発見され発掘されたのでした。そして遺骨などを収容して更に機体各部も回収され、
機体各部が靖国神社の遊就館や各地の自衛隊、(「聖博物館」「陸上自衛隊海田駐屯地」「木更津駐屯地」「航空自衛隊・浜松基地基地資料館にも展示」)の資料館に保存されている。
(更新/2007/05/03) 藤とツツジ春の風に花びら散らす日に記す Homepage Owner kanno
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