この焼夷弾は昭和二十年に各地に投下された、不発のM69集束焼夷弾である。
この焼夷弾も関東の中都市(当時)に投下されたものの不発に終わったものである。
この焼夷弾が発見されたのは、投下された市内中心から離れた、まず投下されるような場所ではないので。
おそらく投下されて、空中でバラバラになったときに風に流され、投下点以外の地点に落下して炎上せず、六十年間、
畑の中に眠っていたものらしい。
十七年春にブリキ缶のような外見の六二・二
ポンド尾部点火型M56焼夷弾が発表された。
これを改良したのが日本の空襲に主に使われ
ることになるM69集束焼夷弾である。
M69集束焼夷弾は、長さ五十・八センチ、
直径七・六センチ、重量二・七キロの六角形
をした弾筒部を十九個重ねて、二段に積み上
げた合計三十八個を一つとした爆弾である。
M69の中身はナパームである。ナパームとは、
一言でいえばゼリー状の油脂ガソリンで、石
油精製の際の副産物のナフサネートと、椰子
油などの油脂に水素を添加したパーム油を混
合したものである。さらに、M69には亜鉛や鉛、燐、
ガソリンなどを混入して、着火力と燃焼力を
向上させた。
M69は着弾するとTNT爆薬が炸裂し、中
のマグネシウム粒子によってナパームに火が
つく。その燃焼エネルギーで鋼鉄製の筒を吹
き飛ばし、三十メートル四方にゼリー状のナ
パームをまき散らして、建物や人間を火焔に
包み込む。
新型焼夷弾開発部門のチーフであるラッセ
ルは、ヨーロッパでイギリス空軍によるドイ
ヅ焼夷弾空襲を実際に目撃し、帰国後、米陸
軍航空隊に日本への焼夷弾爆撃を進言した。
米政府の研究でも、焼夷弾は日本の都市労
働者の住宅を壊滅させ、経済面に大混乱をきた
すだろうとの予測があった。
NDRCはユタ州のダグウェイ試爆場に東
京の下町にみられるような長屋を再現し、焼
夷弾の燃焼実験を行った。米陸軍航空隊に焼
夷弾の有効性を確信させるためである。十八
年十月に提出されたその報告書は、新型焼夷
弾の効果を物語っている。
「東京では工場、倉庫、住宅の九十パーセン
ト以上が可燃性がきわめて高い木造建築であ
り、ほかの都市に持いても同様な状況である。
これはM69にとって屋根を容易に貫通できる
ことからも非常に有利と言える。さらに東京
をはじめ大阪、名古屋、神戸などでは住宅密
集地に隣接して大小の工場が多く存在する。
このようないわば混在地域では焼夷弾による
延焼率が高く、空爆目標に最適である」 (E
・バートレット・力-著・大谷勲訳『戦賂・東
京大空爆』光人社)
(更新/2007/10/04) 残暑も終息した秋の日に記す。 Homepage Owner kanno
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参考文献 |
新人物往来社(刊)日本大空襲・別冊歴史読本60号第32巻第08号通巻753号
写真・2006.10.21銚子読売新聞ホールの戦争展・『銚子と戦争展アジア太平洋の戦跡』より
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