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gunkanki








北総台地のトーチカ群
大本営は一億玉砕の決意であったのか!








北総台地のトーチカ群の所在地図






  大本営は沖縄を奪取した後に、聯合軍はまず九州を制圧し、そこを足懸りに房総方面への聯合軍の上陸ありと睨んでこの九十九里海岸に面したこの北総台地に 目をつけ、昭和十九年ころからトーチカと防空壕を造り始めたという。この他にも房総半島の海岸域 本土防衛のために防空壕やトーチカ、又、桜花の発射台なども設置されたという。陸海軍総出の陣地構築であったようである。

  このトーチカや防空壕を堀って本土決戦に備えたのは、昭和十九年十月十六日に進駐した近衛第三師団歩兵第九連隊および、根拠地は銚子にあった二二六〇三部隊・通称・護沢〇三部隊(歩兵第四百三十七連隊)や、 豊岡には歩兵四百三十八連隊・二二六〇四部隊・(護沢〇四部隊)、鶴巻地区には歩兵四百四〇連隊・二二六〇六部隊・(護沢〇六部隊)、そして猿田町には第百五十二師団司令部・護沢二二六〇二部隊(護沢〇二部隊) などが昭和十九年中には本土決戦の備えとして築城に就いたのであった。この他に、笹川地区に歩兵四百三十九連隊・二二六〇五部隊・(護沢〇五部隊)が駐屯し、利根川沿いから神栖方面までの管理していた。   

  今回、探し当てた場所は上の地図に赤く円で囲まれた範囲で、この地区は銚子市と旭市にまたがる壮大な地域である。 この散策にあたり、地域の方に何度か詳しく聞いたのだが、もう覚えている人も少なく、中には我が家にもあったが時が経つとともに砂に埋没したという回答が 何人かの人から得られた。要するに自分で探せということだと認識し、三日間ほどかけて数個のトーチカと、トーチカと思えるものが何個か見つけ出せた。 ここでトーチカを探すにはバイクがないと難しいことを思い知らされた。車でも入れる場所もあるが出来ればバイクをお勧めします。 もしも出かけられる方がありましたら、地図の大きい円の中の赤く印を点けた場所を中心に散策すると道に迷うことも少ないと思います。 ただ、藪や、傾斜の大きな場所もあるので十分に注意してください。






旭市・塙(はなわ)地先・トーチカ



鹿島神之池海軍航空隊跡石碑


  このトーチカは千葉県・旭市・塙(はなわ)に造られた戦闘指揮所で、ここより各トーチカへ指令を出したといいます。小高い丘の上に建てられていてはいたが周辺を竹や木が覆いかぶさりそうで、とても視界が良いとは思えなかった。 しかし、今は下から見ると 基礎の部分がむき出しになっていて、いつ落ちてくるのかと気にかかるところでした。






基礎石が剥き出しのトーチカ



基礎


  このトーチカは旭市・塙(はなわ)に造られた戦闘指揮所で、ここより各トーチカへ指令を出したといいます。小高い丘の上に建てられていてはいたが周辺を竹や木が覆いかぶさり、そう視界が良いとは思えなかった。 しかし、今は下から見ると 基礎の部分がむき出しになっていて、いつ落ちてくるのかと気にかかるところでした。
  写真を見れば解るように基礎部の石が丸見えになっていていつ落ちるのやら解らない状況になっていた。もう基礎というよりこの当時、昭和十九年代は物資も不足してきていたため 基礎を作る余裕などなく、地面にこのような石を少し積んで基礎代わりにして、上からコンクリートを流して基礎は完成ということにしていたのでしょうか!


司令部トーチカ内部・T
入口・1
内部
司令部トーチカ内部・U

内部
内部

司令部トーチカ内部・V





































































































  このトーチカは笹やぶの中にあり、近付くにはとても大変な場所にあります。そして近付いても個人の所有物ですので勝手に中に入るのは 憚られるので、三脚にカメラを固定してセルフタイマーで撮影してきました。それでも十分に写すことができたのは窓が何ヶ所かにあり、その窓から 内部の様子を写せました。それにしても内部は外部に比べ壁もきれいで、60年以上経った物とはとても思えない良い状態に保たれていました。 内部の造りや、内部壁面は飛行機を入れておく掩体壕などよりはきれいだと思われました。  
旭市・三川地先・浅間神社附近



































  このトーチカは神社の参道付近の傾斜地に構築されて居り、チョット探すのに苦労しました。神社の入り口の鳥居を潜り、何処までも右側を見て歩いてゆくと そこにトーチカの裏口が見えます。そして40度もあろうか? チョット恐いほどの傾斜を足をズルズルと滑らしながら、片手にカメラ、もう一つの手は 滑り止めのために周辺の笹の枝を掴んで下りて行くとトーチカの正面に出ます。それにしても良くこんな処に造ったな〜と! ひとり納得したしだいです。

  それにしてもここから海岸まで数キロあるのだ、ということは水際作戦は執らずに内陸に誘き寄せての作戦を展開しようとしていたのか? 負け戦は間違いなかったではあろうが、 聯合軍側にも相当の犠牲が出たことであろう。城を攻めるのには相手の3倍の兵が必要と言うが、双方ともに甚大な被害が出たことは火を見るより明らかである。
































  ここのトーチカが一番トーチカらしく、造りもきれいな造りでした。この場所は見晴らしも良く攻撃しやすかったのではと思われる場所です。
銚子市・白石町地先のトーチカ












































  ここのトーチカは何気なく車で走っていて見つけたものであるが、民家の中にある物で取り敢えず見せてくれるようにお願いして見せてもらった。 このトーチカのオーナー曰く、この土地を購入した時にオマケについてきたと言っていました。購入時にはほとんど砂に埋もれていたそうで、 急きょ掘り出して現状持したそうです。そのためか内部もとてもきれいになっていて、中は物置代わりになっていました。 その後、オーナーのところで作っているブドウ(巨砲)を一房もいでくれた。これがまた甘くてとても美味しかったです。 そしてその後、お茶でもやって行けと言われ、図々しくもお言葉に甘えてお茶をいただいて帰って来ました。 しかし、田舎は人情があっていいですね。
銚子市・猿田町地先のトーチカ


















































































  終戦後、60年以上を経過し、埋もれるがままになっているこの貴重なトーチカを何とか保存できないものなのか、もう知る人も少なくなった昭和の遺産を大事にして欲しいと、 今回、散策して痛いほど感たしだいである。このように目で見て当時の環境が体験できるなんてすばらしいことではないでしょうか! このまま土に埋もれさせるのはとても惜しい 遺産なのである












(更新/2009/06/05)  初夏の梅雨近き日に記す。    Homepage Owner kanno


 


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