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日章旗




風船爆弾










風船爆弾とは!





  この風船爆弾は私の知り合いのTさんが入手したものです。入手先はアメリカで、戦時後、高級将校が国へ帰る際に持ち帰った物だそうで、その後、 子、孫と大事に引き継がれて保管されていたものだそうで、防虫処理も施されて大変状態も良いそうです。現在、日本に現存する状態の良い風船爆弾は この1基だけであろうと思われます。そして、アメリカのスミソニアン博物館の保管庫には気球部分が保管されていて、 気圧計及び爆弾部分の気球下部部分の実物は国立航空宇宙博物館に展示されているそうです。

  その他、福島県会津若松市の県立博物館風船爆弾の1/4ほどの大きさの風船の下半球部分が実物展示されている。 そして、ダーミーの1/5の模型が江戸東京博物館にあり、同じくダミーの1/7の模型が 埼玉県平和資料館に展示されているのが現状だそうです。状態の完全な物はこの1基だけと言って過言ではなさそうです。 Tさんはこの風船爆弾を個人的なコレクションにするつもりはなく、 大勢の方々に見ていただけるようにと、この風船爆弾が飾られるに最もふさわしい処を探して寄贈するそうですので、その際は是非ご覧になってください。

この風船爆弾の寄贈先が決まったと、T氏から連絡があり、寄贈場所は靖国神社と決まったそうです。皆さんも靖国方面に行ったらご覧になってください。 只、まだ展示日が決まりませんので、もしも展示がされてなかったら、ごめんなさい。でも近いうちには展示されるものと思われます。







風船爆弾をどのように飛ばしたのか!



  風船爆弾は終戦間際に開発されたように思われがちですが、昭和8年ころ中国大陸で対ソ連戦にしようとして開発されたのがこの風船爆弾の始まりののだそうである。 その後、何度か手をくわて終戦間際の昭和19年秋から20年春にかけてアメリカへ放たれたと言われます。 そして偏西風(ジェット気流)200キロ〜300キロの強い風に乗って、 太平洋を約2日〜3日ほどで飛んだと言われています。

  風船の大きさは直径約10メートルの薄い和紙(5層)と、こんにゃく糊を使い女学生の手で丁寧に1枚1枚貼り合わせわせて造られた。そして 気球の密閉度を高めるために風船のその表面に苛性ソーダ液を塗ってコンニャク糊を強化して強度と機密性を保ったという。この作業に当たった女子学生の証言によれば、眠気防止のため、 シロポン(麻薬)などが配られたという。どう考えても異常であり兇器(きょうき)である。

  この風船爆弾が太平洋に放出された場所は、偏西風に乗せやすい太平洋側が多かったようで、ここに数ヶ所あげてみると千葉県長生郡一ノ宮、茨城県北茨城市大津・五浦(いつうら)、福島県いわき市の勿来(なこそ)などから アメリカへ向けて放出された。その数は約9300個が日本から発射されて、約900から1000基ほどがアメリカ本土へ到達したという。この珍客にアメリカ側は厳重な報道管制を敷いた。

  米本土・オレゴン州ではピクニック中の人が木に引っかかっている爆弾部分に触れ、爆発死傷者(女性1人と子供5人)も出た。なお、大国の米が本土攻撃され、死傷者がでたのはこれが最初である。 そのほか、北米の2カ所で山火事の原因となったり、送電線にひっかかって爆発、原子爆弾製造を数日間遅らせる等の成果があったといわれる。。 だが、厳重な報道管制を敷いたために日本側にはほとんど被害の内容も分からないまま、昭和20年春に作戦は終了となった。







愛媛県四国中央市・川之江の「紙のまち資料館」常設展&特別展(07年7月29日)
⇒動画(常設展特別展TV報道




風船爆弾

風船爆弾本体






焼夷弾・爆弾を吊る麻縄




麻縄


サイズが明記されたタグ













Japanese_fire_balloon_moffet.JPG


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


飛翔する実物の風船爆弾





模型

江戸・東京博物館に展示されている1/5の模型





石碑

忘れじの塔は五浦海岸、茨城県北茨城市 大津に存在する。




 

大本営命令(1944=昭和19年)

 

気球連隊は米国本土に対し、気球をもってする攻撃を開始すべし。
実施期間は11月初頭より明春3月頃までと予定するも、状況により之が終了期間を更に延長することあり。攻撃開始は概ね11月1日とす。但し11月以前に於ても気象観測の目的を以て試射を実施することを得。試射に当りては実弾を装着することを得。

 投下物料は爆弾及び焼夷弾とし、その概数次の如し。

15瓩(トン)爆弾=約7500個、5瓩焼夷弾=約30000個、12瓩焼夷弾=約7500個

 放球数は約15000個とし、月別放球標準概ね左の如し。

11月 約500個とし、5日頃までの気球数を努めて大ならしむ。

12月 約3500個、

1月 約4500個、

2月 約4500個、

3月 約2000個

放球数は更に約1000個増加することあり。

放球実施に当りては、気象判断を適正ならしめ以て帝國領土並びに「ソ領」への落下を防止すると共に、米國本土到着率を大ならしむるに努む。

 









(更新/2009/08/28) 残暑厳しき日 Homepage Owner kanno



参考文献 
たむたむ(多夢 太夢)さまのHPより、許可済み

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』風船爆弾より



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