上記に掲載した写真は私の家の周辺に今も点在する防空壕である。
B-29の本土空襲が始まった頃、盛んに掘られた物であるが、この様な山に近い人々は
横穴式の壕を掘れたのであるが、周辺が平地だけの人々は縦穴を掘って、上に
木の板などで覆いをして、その上から迷彩のために土を盛り草などを利用して上空から
確認し難くしていた様である。
しかし、この様な壕では直撃弾でなくても被害を受けたそうですが、場所のない人々は
この様な場所で凌ぐ他なかったようです。
我が家の周辺は小高い山に丘に囲まれていましたので、相当数の壕が彫られていて、
私が子供の頃はまだ沢山、家から10数メートルの所に並んでいましたが、危険だと言う事で
公園んを作る時に塞がれました。
現在、塞がれないで残っている壕が2ヶ所ほど家の20メートル程の所に有りますが、枯れ葉や竹などが
生い茂り、確認し難くなってしまいました。そして今、六十年余りの月日を忘れさせるかのように自然が壕を埋めようとしています。
しかし、それは物理的なものだけであって、戦争体験者の心からは拭い去れないのが現実なようです。
後は、私の所は海が近いので、本土決戦を想定していた大本営は陸海軍は米軍が上陸して来るとしたら
関東は房総九十九里方面と睨み、私の家の丘の坂道を挟んだ左右で、陸海軍が競うが如くに、
昭和19年後半から、20年8月15日まで防空壕を掘っていたようです。お陰で丘は迷路のように掘り起こされて
今では所々地盤が沈み始めている様子が見られます。
我が家にの父母も勤労奉仕という戦時中、半強制的な義務のため駆り出されたようです。
海軍側の香取航空隊が掘っていた壕は私の住む地は海に面した場所なので、
本土決戦に備えて特攻兵器『震洋』(モーターボートに炸薬を積んで敵艦に突っ込む兵器)
の基地として掘られていたそうであるが、
今は、この弥生町の震洋基地の壕も2ヵ所を残し、他の入り口は閉ざされている。
予想通リ、終戦後に米軍は上陸して来たそうです。
私が父母に聞かされたものです。それにしても大変な時代であったようである。
壕には蓋をされたが、まだまだ平成の世に成っても昭和の蓋はされていない。
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